中館(栃木県上三川町) [古城めぐり(栃木)]
←北側の二重土塁と空堀
中館は、中城とも呼ばれ、宇都宮氏の家臣黒須氏の居館である。上三川町域には上館・下館があり、いずれも上三川城北東の鬼怒川西岸地区に北から順に配列しており、これら3つの館は何らかの関連があったのではないかと思う。
中館は、鬼怒川西岸の微高地にあり、現在は宅地となっているが、Google Mapの航空写真で見ると、ほぼ方形の敷地が現存し西・北・東に土塁が残っている。民家の敷地なので内部からは確認できていないが、北側の車道から望むと、北側には二重土塁と空堀が確認できる。また北東角の土塁も見られる。しかしその他は近づく術がない上、土塁付近は未整備の薮で覆われていて、確認が困難である。以前は西辺中央に枡形虎口らしいL字型の土塁があったが、現在は湮滅しているらしい。それでもまだこれだけきれいに遺構が残っているのだから、何とか保存の手立てを講じてほしいものである。
尚、中館の西に隣接する満福寺は、戊辰戦争の際に土方歳三率いる幕府軍の別働隊が本陣を置いた場所である。ここから宇都宮城攻略に向かったのである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.459717/139.940114/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
中館は、中城とも呼ばれ、宇都宮氏の家臣黒須氏の居館である。上三川町域には上館・下館があり、いずれも上三川城北東の鬼怒川西岸地区に北から順に配列しており、これら3つの館は何らかの関連があったのではないかと思う。
中館は、鬼怒川西岸の微高地にあり、現在は宅地となっているが、Google Mapの航空写真で見ると、ほぼ方形の敷地が現存し西・北・東に土塁が残っている。民家の敷地なので内部からは確認できていないが、北側の車道から望むと、北側には二重土塁と空堀が確認できる。また北東角の土塁も見られる。しかしその他は近づく術がない上、土塁付近は未整備の薮で覆われていて、確認が困難である。以前は西辺中央に枡形虎口らしいL字型の土塁があったが、現在は湮滅しているらしい。それでもまだこれだけきれいに遺構が残っているのだから、何とか保存の手立てを講じてほしいものである。
尚、中館の西に隣接する満福寺は、戊辰戦争の際に土方歳三率いる幕府軍の別働隊が本陣を置いた場所である。ここから宇都宮城攻略に向かったのである。
北東角の土塁→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.459717/139.940114/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1