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宮田城(長野県宮田村) [古城めぐり(長野)]

DSCN2048.JPG←長大な竪堀
 宮田城は、宮田郷の地頭であった宮田氏の要害城と考えられている。宮田氏の名の初見は、鎌倉末期の1329年の鎌倉幕府の下知状である。室町時代には、信濃守護小笠原氏に属して結城合戦にも参戦している。戦国時代になると、諏訪を攻略した甲斐の武田信玄は、伊那への侵攻を開始した。宮田氏は、下伊那の鈴岡城主小笠原信貞に従って福与城や塩尻峠の戦いに参戦し、武田氏に最後まで抵抗した。そして遂に1556年、宮田左近正親房は狐島で処刑され、長谷村の八人塚の一人として葬られた。しかし宮田氏の中でも武田氏に従った一族があり、天正年間(1573~92年)に宮田左衛門尉や宮田之孫右衛門尉などの名が見えると言う。

 宮田城は、宮田市街地西方の標高850m、比高140m程の山上に築かれている。村の史跡に指定されているので、東麓から登道が整備されている。土塁囲みの主郭を中心に、外周に何段もの帯曲輪群を築いている。特に東斜面では、帯曲輪は10段ほどにも及ぶ。また東斜面には2本の長い竪堀が穿たれており、麓近くまで続いている。主郭背後には複雑な形の多重堀切が穿たれている。基本は三重堀切であるが、中間土塁の途中から更に竪堀が穿たれるなど、背後の守りをかなり意識している。北に続く背後の尾根を登っていくと、ここにも小郭と二重堀切があり、更にその上方にもやや離れて堀切が穿たれている。これら主郭後部の堀切群はいずれも東に向かって竪堀が長く落ちている。また堀切の規模もしっかりしている。北尾根の先は林道に至るが、その付近にも堀状地形が多く見られる。これは古道跡かもしれない。宮田城は土豪の城であるが、多重堀切と長大な竪堀群が特徴的で、見応えのある城である。
土塁囲みの主郭→DSCN2107.JPG
DSCN2115.JPG←主郭背後の多重堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.768792/137.919424/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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