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猿山城(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2788.JPG←南西の外堀
 猿山城は、宇都宮氏の家臣猿山大学の居城であったと伝えられる。猿山では、宇都宮氏家中の内訌「大永の内訌」の契機となった猿山合戦が猿山城の東方で行われており、この戦いの後、猿山城は廃城になったと伝えられる。猿山合戦は、1523年に結城城主結城政朝が宇都宮城主宇都宮忠綱を攻撃した戦いである。忠綱の家中統制強化に反発した宇都宮氏の重臣芳賀高経が密かに結城氏の元に行き、支援を求めた。政朝と忠綱は、前々から中村12郷を巡る対立などで関係が悪化しており、高経の支援要請を受けた政朝が宇都宮氏家中の対立に介入して起こったのが猿山合戦であったとされる。忠綱はこの戦いに敗北し、しかも居城の宇都宮城を反忠綱派の芳賀氏らに占拠されたため帰城もできず、やむなく忠綱派であった壬生綱房を頼って鹿沼城に逃れた。高経ら宇都宮家臣団は忠綱の末弟興綱を擁立した。以後、高経が専権を振るうようになった。失脚した忠綱は1527年に失意のまま没し、この忠綱の死をもって大永の内訌は収束した。

 猿山城は、江川と西方の小河川とで挟まれた低台地の上に築かれている。城跡は山林となっている。山林南西側に弧を描くように外堀が穿たれている。山林内には土塁と空堀がよく残っているが、明確に曲輪を形成した感じではなく、城内をいくつかに区画した様に構築されている。また山林内には古墳が点在し、土塁囲みの稲荷社(岩室稲荷)もある。どうも急造した城のような感じで、宇都宮城南方を押さえる規模の大きな陣城か、或いは猿山合戦前夜に臨時築城した陣城であったのかもしれない。それにしても城の位置は、宇都宮領全域から見ればかなり宇都宮城に近く、上三川城多功城など南方の要衝よりも領内深い位置にあり、猿山合戦が、宇都宮忠綱が完全に不意を衝かれた不本意な戦であったことを物語っている様である。
内部の空堀と土塁→DSCN2839.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.519061/139.912755/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


下野宇都宮氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

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