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桔梗ヶ原合戦 宗良親王本陣(長野県岡谷市) [その他の史跡巡り]

DSCN4966.JPG←東堀正八幡宮境内の石碑
 桔梗ヶ原合戦は、南北朝期の1355年に南朝の宗良親王が結集した信濃南朝方と北朝方の信濃守護小笠原氏率いる軍勢との戦いである。これに先立つ1351年12月、観応の擾乱で足利方が尊氏党と直義党に二分して抗争した隙に乗じ、南朝方は一時京都を制圧(正平一統)、更に関東では宗良親王が新田一族と共に碓氷峠を越えて関東に進撃し、足利尊氏を攻撃した(武蔵野合戦)。一旦は足利勢を破って鎌倉を制圧したものの、体勢を立て直した尊氏勢の逆襲にあって敗退し、新田一族は四散、宗良親王も越後に逃れた。その後、宗良親王は再び信濃に戻っていたが、1355年に諏訪氏・仁科氏ら信濃南朝方を結集して挙兵し、北朝方の信濃守護小笠原長基の軍勢と桔梗ヶ原で合戦した。これは、同年に故直義の養子直冬の元に結集した旧直義党が南朝と組んで京都争奪戦を行っており、これに呼応して宗良親王も挙兵したものと考えられる。しかしこの桔梗ヶ原合戦については『太平記』にも記述がなく、史料も少ないため実情はよくわかっていないが、南朝方の大敗となり、信濃南朝方は大きく衰退した。

 この桔梗ヶ原合戦の際に、宗良親王が本陣を置いたと伝えられるのが東堀正八幡宮の境内である。ここには柴宮の地名が残っているが、これは宗良親王がこの地に来た時、諏訪社の社人が仮の御所を柴で造り御座所としたことから柴宮の名が付いたと伝えられる。現在はただの神社であるが、境内に宗良親王御舊蹟地と刻まれた石碑が立っている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.075248/138.064435/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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