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武田信玄の治水事業(山梨県甲斐市・韮崎市・南アルプス市) [その他の史跡巡り]

DSCN2478.JPG←信玄堤の現在の姿
(2020年8月訪問)
 武田信玄が甲斐国主として在世中に行った釜無川・御勅使(みだい)川の治水事業は、広く知られている。国の史跡にも指定されているし、NHK BSプレミアムの「英雄たちの選択」で治水について取り上げた回(「水害と闘った男たち〜治水三傑・現代に活かす叡智〜」)でも細かく紹介されていた。

 戦国大名といえば、世間一般では民衆の苦しみをよそに戦いに明け暮れていたイメージが強いが、実際にはかなり民政を重視した政策を採っていた。民衆が疲弊すれば国力が弱体化し、すぐに他国に攻め込まれて滅亡する危険性があったし、領内の有力国人衆が主君の悪政に対して叛乱を起こすと、たちまち国から追放される可能性もあったため(中世では家臣には主君を選ぶ権利があると考えられていた)、各地の戦国大名はかなり民政に神経を尖らせていた。最先端の領内統治システムを構築していた小田原北条氏などは、その最たるものである。現代の、危機感が欠落し、上から目線で国民をナメてかかっている劣悪な政治屋たちに、爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいである。戦国時代は、ある意味で現代よりも国民に目を向けていた時代だったから、堤防などを築いて治水事業を行った大名は数多い。中でも複合的な治水対策を行った大名が、武田信玄であった。信玄はおよそ20年もの時間をかけて、これらの治水事業を完遂した。

 ここでは、信玄が行った治水事業による史跡群を紹介する。


<信玄堤>
 信玄堤は、甲府の西方、釜無川と御勅使川の合流点の下流に築かれた堤防である。しかしこの堤防だけでは、暴れ川の釜無川・御勅使川の洪水を防ぐことができない。そこで以下の様な複合的な対策を行って洪水の流れを調節した。
 ・御勅使川の流れを上流の「石積出し」で北側へはねる
 ・このはねた流れを2つの「将棋頭」で受け止める
 ・次に河岸段丘を切り開いた「堀切」で御勅使川の洪水の流れを「高岩」に導き、その勢いを弱める
 こうして弱まった流れを「信玄堤」で受け止めたと言う。ただ、信玄が築いた当時の「信玄堤」は霞堤という形式であり、現在のものとは形が異なる。霞堤については後述する。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.668088/138.501474/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<聖牛>
信玄堤公園にある聖牛→DSCN2649.JPG
 聖牛は、洪水の流れを弱めるために考えられた日本で有名な古い河川工法の一つで、戦国時代の甲州が発祥の地と言われている。丸太を横に寝た三角錐の形に組み、底面に細長い石籠をいくつも積んだ形をしている。展示用のものが信玄堤公園の北端にあるほか、川縁にも現存している。現在でも機能していると言うから、戦国の知恵はすごい!

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.668000/138.501216/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<一の出し、二の出し>
DSCN2638.JPG←現在の一の出し
 一の出し、二の出しは、釜無川・御勅使川の洪水の流れが下流の信玄堤に直接当たらないように、川岸から川中へ向けて作られた出っ張りである。洪水の流れを川の方へはねて堤防を守る働きがあった。現在は一の出しだけがあり、残る一の出しもコンクリートと石で作られているが、往時は竹で作った籠に石を詰めた蛇籠をたくさん並べていたと言う。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.669953/138.500251/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<高岩>
DSCN2643.JPG
 御勅使川と釜無川の合流点付近は強い洪水流となるため、「信玄堤」だけでは洪水の流れを防ぎ切れない。そこで、釜無川と御勅使川の洪水の流れを自然の地形の段丘崖「高岩」へ導き、ぶつけることによって、強力な水の勢いを弱め、更に「信玄堤」で氾濫を防いだと言う。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.671260/138.499564/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<霞堤>
DSCN2659.JPG
 往時の信玄堤は、霞堤という堤防形式であった。川の流れに対して逆八の字の形で雁行状に堤防を複数配列し、上下流の堤防の間には隙間を開け、一部が重なるようにしている。こうして水の逃げ道を作ることで、大洪水の水の圧力を逃し、洪水の流れを柔らかく受け止めることで堤防の決壊を防いだ。霞堤の隙間から外に溢れた水は、再び下流の隙間から川へ戻った。車道脇の緑地帯の中に、霞堤の一部が残っている様だが、夏場だと雑草でわかりにくい。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.662718/138.503104/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<竜岡将棋頭>
DSCN2529.JPG
 竜岡将棋頭は、南に配置された「白根将棋頭」と合わせて、御勅使川の洪水の流れを押さえて下流の「堀切」へ導く効果があったと考えられている。将棋の駒の頭の様に、山型に尖った形をしているので、この名がある。戦国時代から明治初めまで約400年にわたって維持されてきたが、明治になって山間部が荒れ、洪水時に川が出す土砂が増えたため、この付近一帯は埋没して、将棋頭は機能しなくなったと言う。現在見られる将棋頭は、昭和62年に発掘されたもので、南側の石堤だけが残っている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.671783/138.456563/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<石積出し>
DSCN2540.JPG←一番堤の先端部
 石積出しは、御勅使川が山間部から扇状地に出る扇頂部に築かれた雁行状の多段式堤防群である。この堤防群によって御勅使川の流路を北にまわし、ここから下流に将棋頭を設けて洪水時に水を分水した。石積出しは8番堤まであったらしいが、現在は1番から5番まで確認されていると言う。現在現地で確認できるのは1番から4番までで、駐車スペースと解説板があるのが2番堤、そのやや上流に大きな石で組まれた大きな1番堤、下流に数分歩いた所に3番堤がある。4番堤は浄水場の敷地に掛かっており、破壊を受けている。多分浄水場を作った人は、まさか国指定史跡になるとは思ってなかったんだろうなぁ。
2番堤→DSCN2533.JPG

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.653408/138.416523/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<枡形堤防>
DSCN2569.JPG
 枡形堤防は、V字型の堤防で、六科村や野牛島村に水を引いている徳島堰の取水口(水門)を守るために築かれた。徳島堰が開削されたのは江戸時代前期なので、信玄の手になるものではないが、併せてここに記載する。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.662631/138.444375/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<白根将棋頭>
DSCN2575.JPG
 白根将棋頭は、前述の「竜岡将棋頭」と同様に御勅使川の洪水の流れを制御するために築かれた。ここで御勅使川の流れが2方向に分流され、北側に新しく河道を開削して主流とした。南側の旧河道を前御勅使川と呼び、新河道を後御勅使川または本御勅使川と呼んだ。現在は北側の石堤だけが残っている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.663119/138.451370/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<堀切>
DSCN2583.JPG
 「白根将棋頭」で分流された御勅使川の流れを、「高岩」に導くために新しく河道が開削された。特に「堀切」の部分は、小高くなった釜無川西側に沿った河岸段丘を穿ち抜いたもので、人力だけが頼りの時代には大変な難工事であったと言われている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.672202/138.478428/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<十六石>
DSCN2585.JPG
 十六石は、武田信玄が御勅使川と釜無川が合流する地点に置いた16個の巨石群である。この巨石で、釜無川の流れを当方の高岩方向に変えたと伝えられる。しかし江戸後期に編纂された『甲斐国志』では、既に砂中に埋まっていたと言い、度重なる水害で砂に埋まって、その位置も不明になっていた。しかし地中探査と発掘調査の結果、地下約1.5mに、西北西に配列して埋没している花崗岩の巨石が確認された。現在は車道脇に解説板と、柵で囲まれたスペースに中型の石が並べられているだけである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.676019/138.480788/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信玄堤

信玄堤

  • 作者: 和田 一範
  • 出版社/メーカー: 山梨日日新聞社
  • 発売日: 2021/01/30
  • メディア: 単行本


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