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金丸氏館(山梨県南アルプス市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN2608.JPG←西側に残る土塁と堀跡
(2020年8月訪城)
 金丸氏館は、武田氏の庶流金丸氏の居館である。金丸氏は、甲斐守護武田信重の子右衛門尉光重を祖とする一族で、光重に男子がなかったため、武川の一色藤直の子藤次を養子とし、藤次は金丸伊賀守を称した。藤次は武田信昌・信縄・信虎の時代を生き、1519年に69歳で没した。以後、子孫の若狭守虎嗣は信虎に仕え、続く筑前守虎義は信玄に仕えた。虎義には7男1女があり、金丸氏は嫡男昌直、次いで4男定光が継ぎ、他の男子は土屋・秋山姓を名乗った。2男の土屋右衛門尉昌次は長篠合戦で討死にし、5男惣蔵昌恒が土屋氏を継いだ。1582年、織田信長による武田征伐で武田勝頼は滅んだが、昌恒は最期まで勝頼に従い、死を覚悟した勝頼が自害するまでの時間を稼ぐため、追撃してくる織田勢を相手に奮戦して自刃した。その際、崖道の狭い所で岩角に身を隠し、片手は藤蔓に掴まり、もう片手で刀を持ち、迫りくる敵兵を次々に斬っては谷川に突き落としたと伝えられ、後に「土屋惣蔵片手千人斬り」と讃えられた。昌恒の子忠直は後に徳川家康に見出され、上総久留里藩2万石の大名に取り立てられ、子孫は常陸土浦藩主として明治維新を迎えた。

 金丸氏館は、現在の長盛院境内にあった。ここは段丘の東端に当たり、東と南は急崖となっている。本堂裏手の西辺に土塁が残っている。以前は北側半分にも土塁が残っていたらしいが、現在は住職の墓地に改変されてしまっている。また西側の土塁の外側は若干低くなっており、空堀があったと思われる。これ以上の改変が無いよう望みたい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.653112/138.488985/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: 単行本


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