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天童陣屋(山形県天童市) [古城めぐり(山形)]

DSCN3024.JPG←喜太郎神社の参道入口
(2020年9月訪城)
 天童陣屋は、天童藩織田家の陣屋である。織田信長直系の家で、信長の次男信雄の系統である。1615年、信雄に大和国宇陀郡3万石・上野国小幡2万石が与えられ、後に信雄の4男信良が小幡藩を立藩した。その支配は1世紀半に及んだが、1767年、山県大弐の明和事件に連座して藩主信邦は蟄居処分となり、その跡を継いだ養嗣子・信浮は5万石から2万石へ減封の上、出羽高畠藩へ移封となった。1830年、藩主織田信美は陣屋を天童に移し、天童藩を立藩した。その後、幕末まで存続した。結局、織田家が天童を直接治めていたのは、わずか40年程であった。

 天童陣屋は、天童城のある舞鶴山の北西の平地にあった。かつては二重の堀で囲まれた広い陣屋で、中心には内堀に囲まれた御殿があったらしい。しかし現在は、遺構は完全に湮滅し、市街地に埋没している。しかも陣屋の中心をJR山形線が南北に貫通している。喜太郎稲荷神社の参道入口に天童陣屋の絵図が掲示されている。御殿は神社の南西にあったらしい。参道入口の東60m程の小さな十字路付近に大手門があったらしく、御陣屋大手門跡の標柱が立っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.355472/140.368870/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


江戸三百藩の通知表 (TJMOOK)

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  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2020/10/10
  • メディア: 大型本


タグ:陣屋
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