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下曽根氏屋敷(山梨県甲府市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN2762.JPG←境内に残る土塁
(2020年8月訪城)
 下曽根氏屋敷は、武田氏の庶流下曽根氏の居館である。下曽根氏は、武田氏14代信重の子中務大輔賢信(賢範)が下曽根氏を称したことに始まる。下曽根氏の事績としては、1559年から1582年まで、下曽根氏3代岳雲軒浄喜が信濃小諸城代となったと伝えられる。浄喜は、1582年の織田信長による武田征伐の際、小諸城に逃れてきた武田信豊(武田信玄の実弟信繁の次男)を討ち、その首を信長に進上して降伏するが、不忠の廉で誅殺されたと言う。また武田氏滅亡・織田信長横死後に生起した天正壬午の乱の際に徳川家康に服属した武田家旧臣達が提出した『天正壬午武田諸士起請文』には、侍大将として下曽根源六信辰の名がある。源六の弟源七弥左衛門尉は、長篠の戦いで討死している。この様に下曽根氏は、武田氏時代にはその親族衆として、また武田氏滅亡後は徳川氏に仕えて活躍した。

 下曽根氏屋敷は、笛吹川南岸の平地にあり、現在実際寺の境内となっている。境内の東面から南面にかけて土塁がよく残っている。屋敷のある曽根郷は、甲府から右左口を経て、古関・阿難坂の難所を越え、精進を経て駿河に至る中道往還を押さえる重要な交通の要衝で、天正壬午の乱の際の徳川家康の甲斐入国の際にもこの道筋が使われており、甲斐の要地を任されていたことがうかがわれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.592622/138.575717/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


天正壬午の乱 増補改訂版

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  • 発売日: 2015/07/10
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