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野口城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN6753.JPG←7郭から見た5郭と主城部
 野口城は、地元では春日城と呼ばれ、歴史不詳の城である。城主は春日氏とも小松氏とも野口氏とも言われ、定かではない。明治時代の報告書には、1241年に野口甚吾が西山に城を築いて三ノ郭に春日社を祀って城の守り神としたことから春日城と呼ばれるようになったとある。また1545年3月に武田信玄が伊那に侵攻して福与城の藤沢頼親を攻撃した際、福与城籠城衆の中に野口という武士の名が見られると言う。この野口氏が野口城と関係があるかは定かではないが、野口城が福与城に近く、位置から考えて福与城の重要な支城であったと推測されている。

 野口城は、標高830m、比高80m程の城山に築かれている。南麓の野口八幡神社の裏から登山道が整備されており、迷うことなく登ることができる。登った後でわかったことだが、東麓からも登道が整備されている様だ。私が訪城した時は城内の主要な曲輪の山林が皆伐された後で、まるで全面発掘調査したみたいな状態で、城の全貌が手に取るようにわかるようになっていた。しかも遺構を傷めないように伐採したらしく、遺構の損壊はほとんど見られなかった。
 城は、山頂に三角形の主郭を置き、西・南・東の三方の尾根にそれぞれ2郭・4郭・3郭を配置している。主郭とこれらの曲輪の間には浅い堀切が穿たれ、それぞれ片側の側方に竪堀が落ちている。2郭の北の尾根には二重堀切が穿たれている。また主郭・2郭の西斜面には腰曲輪群が築かれている。3郭・4郭の周囲にも腰曲輪が築かれ、特に3郭の側方と先端には数段の腰曲輪が取り巻いている。4郭の南のピークには5郭が置かれ、前後に段曲輪を築いている。5郭の東には細長い6郭があり、先端を二重堀切で分断している。5郭の南東尾根にも小郭と2本の堀切がある。5郭の南には堀切の先に物見台のような7郭がある。7郭の南と西にも浅い堀切がある。以上が『信濃の山城と館』や現地解説板の縄張図に載っている遺構であるが、皆伐されたおかげで2郭から南西に伸びる尾根の先にも遺構(段曲輪と片堀切)があることを発見した。かなり離れたところに片堀切が穿たれており、「北斗の拳」風に言うと「堀切があらわに。しかもあのような位置に。」と言ったところである。
 野口城は、しっかりとした普請が施されており、重要な城であったことがうかがわれる。
3郭と主郭→DSCN6824.JPG
DSCN6873.JPG←2郭北の二重堀切
南西に離れた所にある片堀切→DSCN6841.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.870299/138.020253/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館〈第5巻〉上伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

信濃の山城と館〈第5巻〉上伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/06/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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