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守屋山城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN6165.JPG←北尾根の二重堀切
 守屋山城は、蟻塚城を本拠としたこの地の豪族笠原氏が築いた詰城である。笠原氏の事績については蟻塚城の項に記載する。

 守屋山城は、蟻塚城の背後にそびえる標高960mの山上に築かれている。蟻塚城との比高差は120mで、登道は蟻塚城の主郭背後から谷戸を登るように道が整備され、案内表示もあるので迷わずに登ることができる。主郭を中心に、北・南・東の三方に伸びる尾根に多数の曲輪群と堀切を配し、更に西に降る2つの支尾根にも曲輪群を配した縄張りとなっている。まず主郭は西側以外の三方を土塁で囲んだ不等辺四角形の曲輪で、北尾根・東尾根には堀切を穿ち、南には前衛の6郭を置いてから堀切を穿っている。北尾根には、堀切の前に2郭を置き、2郭の先にも堀切を穿ち、更に段々に曲輪群を長く連ねている。北尾根曲輪群の先端付近には二重堀切を穿っている。二重堀切手前にある5郭の西の支尾根には段曲輪群が築かれており、前述の登道はこの曲輪群を通るように敷設されている。また2郭先端の堀切は西側に竪堀となって長く伸び、もう一つの西の支尾根にある曲輪群に繋がっている。従ってこの竪堀は、城内通路を兼ねていた様である。この西尾根の先には細長い7郭があり、更に3段の小郭を置いて、先端を堀切で区画している。これらの曲輪群の側方には帯曲輪も築かれている。主郭の南には6郭と堀切の先に、北尾根同様に階段状に曲輪群が築かれている。先端近くでは四重堀切となっており、側方にも竪堀が長く落ちていて、尾根上も横もウネウネになっている。6郭下の堀切の脇から主郭の東斜面に帯曲輪が伸び、ここから4本の竪堀が連続して落ちている。南尾根の堀切・東尾根の堀切それぞれから落ちる竪堀と合わせると、東斜面には合計6本の竪堀が落ちており、この斜面の防御を特に重視していたことがうかがわれる。東尾根も、主郭直下のものを合わせて合計4本の堀切が穿たれている。以上が守屋山城の遺構で、堀の規模はそれほど大きくはないが、多重堀切・竪堀群で尾根筋を固めた要害である。武者走り・帯曲輪などもよく残っている。執拗に穿たれた堀切群・竪堀群は、武田氏による改修の可能性を感じさせる。
堀切と主郭切岸→DSCN6035.JPG
DSCN6067.JPG←四重堀切から落ちる竪堀群
主郭東斜面の竪堀→DSCN6098.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.847274/138.040059/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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