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久米ヶ城(長野県飯田市) [古城めぐり(長野)]

DSCN5381.JPG←主郭中央の土壇
 久米ヶ城は、信濃守護小笠原氏の居城松尾城の支城である。南北朝期の貞和年間(1345~50年)に、北朝方の信濃守護小笠原貞宗の弟貞長が久米ヶ城を築いて居城とした。東平の麦種城、西平の城山(西平城)を支城とし、約200年間にわたって続いたが、戦国中期に小笠原氏の内訌により、松尾城と共に落城したと言われている。

 久米ヶ城は、久米川の南にそびえる標高736mの城山に築かれている。山頂の主郭を中心に南に二ノ郭・三ノ郭を連ねている。主郭・二ノ郭・三ノ郭は公園化されており、車道が敷設されているため、遺構の一部が改変されている。主郭には中央に土壇があり、段差で区画された東西2段の平場で構成されている。主郭と二ノ郭の間には堀切があったが、車道で破壊を受けている。二ノ郭・三ノ郭は段差だけで区画されているが、以前は建物があったらしく、改変を受けているので、往時の形態はよくわからない。これら中心部の曲輪から北東・北・西・南西・南に派生する各尾根に、広範囲に曲輪群を築いている。まず主郭の北には堀切が穿たれ、その先にそれぞれ基部に堀切を穿った北東曲輪群と北曲輪群がある。いずれも小郭群で構成されているが、北曲輪群の先端にはやや大きめの平場があり、蔵屋敷の名が残る。その北西には土橋の架かった小堀切がある。次に主郭の西には西曲輪群があり、小郭群と3つの堀切がある。二ノ郭の西には南西曲輪群があり、堀切と小郭数個があるだけである。三ノ郭の南には南曲輪群がある。車道が貫通している部分は堀切跡らしく、その先に櫓台状の土壇があり、車道脇から側方斜面に竪堀が落ちている。細尾根の南に堀切があり、その先には4郭があり鍛冶ヶ城の名が残っている。本城域からやや独立した出城的な曲輪群だったのだろう。4郭には西辺にだけ土塁が築かれている。その先にも細尾根上の曲輪と腰曲輪、堀切数本が見られる。以上が久米ヶ城の遺構で、城域は広いが堀切はあまり大きくなく、縄張り的にも特色が少なくパッとしない城である。
主郭北側の堀切→DSCN5390.JPG
DSCN5537.JPG←堀切と4郭

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.462828/137.781236/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃小笠原氏 (シリーズ・中世関東武士の研究 第18巻)

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