市川陣屋(山梨県市川三郷町) [古城めぐり(山梨)]
←陣屋の正門
(2020年7月訪城)
市川陣屋は、江戸後期の1765年に巨摩・八代郡を支配するために設置された陣屋である。当初は駿府紺屋町陣屋の出張陣屋として築かれ、代官小田切新三郎による3万石余の支配から始まった。1795年、榊原小兵衛の時代に陣屋建て替えで正式に本陣屋となった。文化年間(1804~18年)の支配地は、247ヶ村、74,876石余、御預り9ヶ村、4,822石余であったと言う。当時は代官の居間に加え、手代取締や公事方などもある堂々とした建物であったが、1835年2月11日の落合大火で元締官舎1棟以外の建物を全て焼失した。初代代官から25人で明治維新を迎えた。
市川陣屋は、JR身延線の市川本町駅の北西100~200m程の場所にあったらしい。現在は、市街地の十字路脇に陣屋跡の石碑が立ち、そこから東にちょっと歩いた所に陣屋正門が移築されて残っている。「御陣屋」の地名は、石碑の位置から南西のブロックにあるらしいが、現在は住宅地になっていて何も残っていない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.561871/138.500937/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年7月訪城)
市川陣屋は、江戸後期の1765年に巨摩・八代郡を支配するために設置された陣屋である。当初は駿府紺屋町陣屋の出張陣屋として築かれ、代官小田切新三郎による3万石余の支配から始まった。1795年、榊原小兵衛の時代に陣屋建て替えで正式に本陣屋となった。文化年間(1804~18年)の支配地は、247ヶ村、74,876石余、御預り9ヶ村、4,822石余であったと言う。当時は代官の居間に加え、手代取締や公事方などもある堂々とした建物であったが、1835年2月11日の落合大火で元締官舎1棟以外の建物を全て焼失した。初代代官から25人で明治維新を迎えた。
市川陣屋は、JR身延線の市川本町駅の北西100~200m程の場所にあったらしい。現在は、市街地の十字路脇に陣屋跡の石碑が立ち、そこから東にちょっと歩いた所に陣屋正門が移築されて残っている。「御陣屋」の地名は、石碑の位置から南西のブロックにあるらしいが、現在は住宅地になっていて何も残っていない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.561871/138.500937/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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- 発売日: 2015/03/02
- メディア: ムック
タグ:陣屋