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グレートコンジャンクション! [天文学]

DSCN1819.JPG
↑上が木星、下が土星。
 木星の横にはガリレオ衛星。左から順にエウロパ・イオ・ガニメデ・カリスト。

昨日12月21日の夕方、木星と土星が西の空で最接近した。
これほどの接近が地球から見られたのは、実に1226年以来と言う。
1226年といえば、蒼き狼の末裔チンギス・ハンが、まだ存命だった時代である。
これは見ずばなるまい!

ということで、仕事早引けして速攻で家に帰り、
納戸にしまい込んでいた天体望遠鏡を引っ張り出して、
ベランダで天体観測。

あまり機材がないので、即席で接眼レンズにコンデジを近づけて、記念の撮影。
西の空低く、また屋外に出してから時間が経っていないため、
反射望遠鏡の鏡筒内の空気の乱れがあって、
あまりシーイングは良くなかったが、一応土星の形もわかるし、
木星の4大衛星(いわゆるガリレオ衛星)もはっきり捉えられたし、
とりあえずこれで良しとしよう!

こうやって見比べると、木星と比べて土星のなんと小さいことか。
それにしても、望遠鏡の同一視野内に2大惑星を捉えられるなんて、
一生に一度しか見られない、貴重な記憶だ。
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義清館(山梨県市川三郷町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN0951.JPG←甲斐源氏旧蹟之碑
(2020年7月訪城)
 義清館は、甲斐源氏の祖刑部三郎源義清の居館と伝えられている。義清は、八幡太郎源義家の弟新羅三郎義光の3男で、常陸那珂郡武田郷の支配を任されて居館を築き、武田冠者を称した。1130年に嫡男清光の「濫行」の罪を以って朝廷に告発され、義清・清光父子は甲斐国に配流となった。義清は、平塩寺の源行房を頼って市河庄・青嶋庄の下司となり、平塩岡に館を築いたと言う。49歳頃に甲斐の目代となった。1145年に市河庄の館で没したと伝えられる。

 義清館は、芦川扇状地を眼下に見下ろす台地中腹にあった。現在の熊野神社の辺りと推測されている。ここは周囲より高くなった東西に長い丘陵地であるが、明確な遺構は見られない。丘陵上には甲斐源氏旧蹟之碑が建っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.558153/138.506463/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:居館
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