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最勝寺砦(山梨県富士川町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN5185.JPG←二ノ郭背後の堀切
(2021年2月訪城)
 最勝寺砦は、歴史不詳の城砦である。古くから亭候(ものみ)を置いた場所と推測されている。

 最勝寺砦は、畔沢川と三枝川の合流点に西から突き出た比高120m程の山稜上に築かれている。南を通る県道420号線から、擁壁に架かった鋼製階段を登り、そこから山道を登っていけば砦に至る。但し階段の上は、尾根上に到達するまで急斜面で落ち葉が多く道も崩れている。従って滑落の危険性があり、キャッスリング上級者向けの城であろう。尾根上には緩斜面が広がっており、いくつかの平場に分かれ、部分的に石積みが見られる。これらは三ノ郭群と考えられるが、昭和期まで耕作地が広がっていたので、どこまでが往時の遺構で、どこからが耕作による改変なのかはよくわからない。しかし形状としては城の腰曲輪の雰囲気を漂わせており、往時の曲輪をそのまま耕作に転用している可能性もある。三ノ郭群の奥には斜面がそびえ、その上に物見台状の二ノ郭が築かれている。その裾に当たる、三ノ郭群の西端部にも石積みが見られる。二ノ郭は、後部に土塁を築き、背後に堀切を穿った独立性の高い物見台で、周囲に腰曲輪も築かれている。本格的な城域はここから始まる。堀切の西側には尾根上に曲輪が続き、奥の一番高い所に主郭がある。主郭の背後の鞍部には浅い二重堀切が穿たれている。その先の尾根にも掘切が穿たれて城域が終わっている。一方、主郭の南側には腰曲輪が付随しており、ここから南斜面に多数の腰曲輪群が築かれている。ここにも石積みが散在しているが、耕作に伴うものかどうかははっきりしない。以上が最勝寺砦の遺構であるが、各所に残る石積みは縄張り的には不合理はなく、往時も砦の番士によって耕作されていた可能性も考えられ、遺構である可能性も十分あると思う。
主郭背後の二重堀切→DSCN5219.JPG
DSCN5266.JPG←南腰曲輪群の石積み(耕作地跡?)

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.551179/138.441821/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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