大野城(山梨県笛吹市) [古城めぐり(山梨)]
←土塁のある二ノ郭
(2021年2月訪城)
大野城は、歴史不詳の城である。昭和61年の県教育委員会の調査で確認された城とされるが、『甲斐国志』には烽火台の記述があり、また山名の別名も「城山」で、城砦があったことは古くから知られていた様である。隣接する花鳥山で行われた1472年と1523年の合戦が、この城に関連すると推測されている。1472年、小山城主穴山伊豆守は信濃の大井氏と花鳥山で戦った。また1523年3月には、小山城主穴山伊予守信永は鳥坂峠を越えて侵入してきた南部下野守と花鳥山で戦った後、小山城で防戦したが、二ノ宮常楽寺へ落ち延びて自刃した。こうしたことから、大野城は小山城主穴山氏と関係が深く、小山城の詰城であった可能性も指摘されている。
大野城は、標高675mの小物成山に築かれている。登り口は北北西の尾根の先端にある。果樹園脇の獣除けの柵の扉を開けて尾根に取り付き、尾根伝いに南に登っていけばよい。大野城は近傍にある旭山城と同様に、最高所の標高693mの峰から北北西に伸びる尾根上に合計4ヶ所に渡って遺構が散在している。前述の登り口から高さ70m程登ると、最初に現れるのが大手の曲輪群で、2段の段曲輪と背後の堡塁で構成されている。2つ目の遺構は、そこから更に細尾根を登った標高615mの峰にあり、小さい平坦地で物見台と思われる。ここには祠と石仏が祀られている。この峰から主城部近くまでの尾根には、山林の境界を示す網が張られている。尾根の鞍部には堀切が穿たれ、その先は急傾斜の尾根となる。3つ目の遺構は大野城の中核となる主城部で、標高675m の峰にある。尾根を登りつめると4段の段曲輪群が現れ、その奥に土橋を架けた堀切があり、その上に二ノ郭がそびえている。二ノ郭は東西に長い長円形の曲輪で、南北両辺に低土塁が築かれている。二ノ郭の東側には土橋状の細尾根が繋がり、その先に三角形に近い不整四角形の主郭がある。二ノ郭の南西尾根には6段の段曲輪群が連なり、主郭の北尾根にも堀切の先に4段の段曲輪群が築かれている。但しこの堀切は、外側に土塁を築いて横堀のような形状にしている。主郭の背後に当たる南尾根には2つの堀切と段曲輪、更にその先の細尾根の曲輪に2つの堀切が穿たれている。主城部の各尾根の段曲輪群は高低差が大きく、登り降りが大変である。4つ目の遺構は南尾根を登った先の標高694mの峰にある。城内では最高所にある曲輪群である。遺構の前には鉄塔が建っていて、訪城した時は鉄塔の碍子交換の工事を行っているらしく、そのための搬送レールなどの機材が曲輪群の横に多数設置されていた。ちょっと遺構の損壊が心配な状況だったが、草木が伐採されているため、遺構は見やすくなっていた。最高所に2段の曲輪があり、西の支尾根に堀切1本、南の尾根に堀切の先に数段の曲輪群を築いている。最高所の2段曲輪の周囲には竪堀が穿たれている。以上が大野城の遺構で、曲輪群を広範囲に散在させ、主城部の背後の峰にも烽火台等の曲輪を築き、大手筋の途中の峰に物見台を配し、堀切・竪堀を多用しているなど、旭山城との類似点が多い。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:【大手の曲輪群】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.605978/138.679186/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【標高615mの物見台】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.604984/138.678650/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【主城部】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.603518/138.680023/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【最高所の曲輪群】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.601477/138.680495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2021年2月訪城)
大野城は、歴史不詳の城である。昭和61年の県教育委員会の調査で確認された城とされるが、『甲斐国志』には烽火台の記述があり、また山名の別名も「城山」で、城砦があったことは古くから知られていた様である。隣接する花鳥山で行われた1472年と1523年の合戦が、この城に関連すると推測されている。1472年、小山城主穴山伊豆守は信濃の大井氏と花鳥山で戦った。また1523年3月には、小山城主穴山伊予守信永は鳥坂峠を越えて侵入してきた南部下野守と花鳥山で戦った後、小山城で防戦したが、二ノ宮常楽寺へ落ち延びて自刃した。こうしたことから、大野城は小山城主穴山氏と関係が深く、小山城の詰城であった可能性も指摘されている。
大野城は、標高675mの小物成山に築かれている。登り口は北北西の尾根の先端にある。果樹園脇の獣除けの柵の扉を開けて尾根に取り付き、尾根伝いに南に登っていけばよい。大野城は近傍にある旭山城と同様に、最高所の標高693mの峰から北北西に伸びる尾根上に合計4ヶ所に渡って遺構が散在している。前述の登り口から高さ70m程登ると、最初に現れるのが大手の曲輪群で、2段の段曲輪と背後の堡塁で構成されている。2つ目の遺構は、そこから更に細尾根を登った標高615mの峰にあり、小さい平坦地で物見台と思われる。ここには祠と石仏が祀られている。この峰から主城部近くまでの尾根には、山林の境界を示す網が張られている。尾根の鞍部には堀切が穿たれ、その先は急傾斜の尾根となる。3つ目の遺構は大野城の中核となる主城部で、標高675m の峰にある。尾根を登りつめると4段の段曲輪群が現れ、その奥に土橋を架けた堀切があり、その上に二ノ郭がそびえている。二ノ郭は東西に長い長円形の曲輪で、南北両辺に低土塁が築かれている。二ノ郭の東側には土橋状の細尾根が繋がり、その先に三角形に近い不整四角形の主郭がある。二ノ郭の南西尾根には6段の段曲輪群が連なり、主郭の北尾根にも堀切の先に4段の段曲輪群が築かれている。但しこの堀切は、外側に土塁を築いて横堀のような形状にしている。主郭の背後に当たる南尾根には2つの堀切と段曲輪、更にその先の細尾根の曲輪に2つの堀切が穿たれている。主城部の各尾根の段曲輪群は高低差が大きく、登り降りが大変である。4つ目の遺構は南尾根を登った先の標高694mの峰にある。城内では最高所にある曲輪群である。遺構の前には鉄塔が建っていて、訪城した時は鉄塔の碍子交換の工事を行っているらしく、そのための搬送レールなどの機材が曲輪群の横に多数設置されていた。ちょっと遺構の損壊が心配な状況だったが、草木が伐採されているため、遺構は見やすくなっていた。最高所に2段の曲輪があり、西の支尾根に堀切1本、南の尾根に堀切の先に数段の曲輪群を築いている。最高所の2段曲輪の周囲には竪堀が穿たれている。以上が大野城の遺構で、曲輪群を広範囲に散在させ、主城部の背後の峰にも烽火台等の曲輪を築き、大手筋の途中の峰に物見台を配し、堀切・竪堀を多用しているなど、旭山城との類似点が多い。
大手曲輪群→
←物見台から見た主城部遠望主郭北尾根の横堀状堀切→
←竪堀最高所の2段曲輪→
←最高所背後の堀切お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:【大手の曲輪群】
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【標高615mの物見台】
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【主城部】
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【最高所の曲輪群】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.601477/138.680495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城