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小泉城(宮城県気仙沼市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN7993.JPG←主郭~二ノ郭間の堀切
 小泉城は、『日本城郭大系』では小泉中館と記載され、葛西氏の家臣三条小太夫近春の居城である。近春は、1590年の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が改易となると他の葛西氏旧臣と共に決起し、秀吉が派遣した奥州仕置軍に対抗したとされる。深谷荘和淵村に出陣した800余騎の中にその名が見える。近春の最期はよくわからないが、葛西大崎一揆後のどこかの時点で伊達氏に誅殺されたらしい。桃生郡深谷での、いわゆる須江山の惨劇で討たれたのかもしれない。

 小泉城は、津谷川河口近くに突き出た比高30m程の丘陵先端部に築かれている。城内は車道が東西に貫通し、郭内は墓地や宅地など改変を受けているが、所々に遺構が散在している。現在アンテナ鉄塔が建っている場所が二ノ郭と思われ、現在は車道で分断されているが、車道の南北の平場全体が二ノ郭であったようである。二ノ郭の南半分はほとんどが空き地になっているが、どうも採土で削られているらしい。それでも、背後の主郭との間に堀切が残り、この堀切の南端には南側の腰曲輪が確認できる。二ノ郭東側には民家のある平場があり、往時の三ノ郭だろう。ここも改変されているのではっきりとはわからないが、二ノ郭とは切岸だけで区画されていたらしい。また二ノ郭の北西には堀切を挟んで細長い出曲輪があり、物見として機能していたと思われる。主郭は二ノ郭西側の曲輪と考えられ、車道の南側に小屋と石碑群がある。南側には腰曲輪があり、二ノ郭南側から続いている。主郭の北半分は畑となっている。主郭の西側にも堀切跡が残っている。堀切の西には外郭があったらしいが、北側が墓地になり、墓地の南は採土で大きく削られており、かなり破壊されている。しかしこの外郭にも西側に堀切が残り、北斜面には横堀と腰曲輪が構築されている。小泉城は、破壊された部分が多く、往時の形状がはっきりしない部分も多いが、断片的な遺構が城の痕跡を残している。
外郭北側の横堀・腰曲輪→DSCN8033.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.768163/141.500709/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


宮城県の歴史散歩

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  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/07/01
  • メディア: 単行本


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