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二日市館(岩手県陸前高田市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8378.JPG←二ノ郭~三ノ郭間の堀切
 二日市館は、葛西氏の家臣今野助九郎・同内膳の居城と伝えられている。元々この地区では、15世紀初頭頃に矢作千葉氏の一族千葉慶宗が長部館を築いて入部して長部氏を称していた。今野氏と長部千葉氏との関係は不明であるが、長部千葉氏の家臣、もしくは長部千葉氏の後に長部地域を統治した可能性が考えられている。また今野内膳は、葛西七人衆の一人と言われる武将であったと言う。今野助九郎・内膳父子は、1590年の葛西大崎一揆で、桃生郡深谷で討死したと伝わる。その後、葛西・大崎両氏の旧領は伊達領となり、1592年に伊達氏の家臣鈴木宗記が城代として二日市城に駐屯した。その後も、中島大蔵・鈴木和泉・大条宗綱が順次城代として配された。また現在の田の浜地内には、慶長年間(1596~1615年)に藩境警備のため、仙台藩直参として足軽55人が組織され、屋敷割されたと言う。1617年に大条宗綱が没すると、大町豊後がこれに代わったが、1631年に知行替えとなってこの地を離れると、以後城代は置かれなくなった。伊達領となった近世初頭まで城代が置かれたことから、気仙郡の広田湾に臨む地域の重要な拠点城郭であったことが推測される。

 二日市館は、長部漁港の北側に突き出た標高55mの半島状の丘陵に築かれている。丘陵基部に当たる西側の住宅地から登道が付いており、城内まで通じている。住宅地の東に段差があり、その先は緩斜面の畑となっていて、四ノ郭と推測される。その東に段差で区画された三ノ郭が築かれている。三ノ郭は中央を仕切るように土塁が築かれている。三ノ郭の東には堀切を挟んで二ノ郭がある。二ノ郭はほとんど自然地形の地山で、郭内もかなり傾斜している。しかし、南側と北西側に腰曲輪が築かれている。二ノ郭の北東に、縦長長方形の主郭がある。主郭は切岸で囲まれ、外周に数段の腰曲輪を築いている。主郭の西辺には土塁が築かれ、土塁の北端に内枡形虎口が築かれて下段の腰曲輪に通じている。また主郭の北東下には竪堀のような谷状通路があり、おそらく往時の船着き場に通じていたと思われる。尚、現在城のある丘陵の東に工場が建つ平地があるが、これは戦後の埋め立てによるもので、往時の丘陵の東縁は直接海に面していた。以上が二日市館の遺構で、技巧的とは言い難いが、海に突き出た要害であったことはよくわかる。
 尚、城があるのは集落の裏の丘であるが、カモシカさん1頭が御出ましになった。
主郭西辺の土塁→DSCN8500.JPG
DSCN8475.JPG←主郭の内枡形虎口
主郭北東の谷状通路→DSCN8431.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.996132/141.624048/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


首都圏発 戦国の城の歩きかた

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