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唐桑城(宮城県気仙沼市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN8091.JPG←土塁がある主郭
 唐桑城は、葛西氏の家臣阿部四郎左衛門の居城とされる。1573年、阿部四郎左衛門頼為は朝日館主星忠信を攻撃し、忠信を滅ぼし朝日館を落城させた。しかし1580年、忠信の遺児星忠元は、姉の夫である気仙郡浜田城主浜田氏の加勢を得て頼為に逆襲し、数度の激戦の末に頼為を討ち滅ぼしたと伝えられる。また、1590年の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が改易となると、唐桑城主阿部四郎左衛門重時は他の葛西氏旧臣と共に決起し、秀吉が派遣した奥州仕置軍に対抗したとされる。桃生郡中津山香取(神取山城)に立て籠もった1700余騎の中にその名が見える。
 尚、唐桑城から谷を挟んで南の山上には南館があり、そのため唐桑城は北館城とも呼ばれる。両城が一対となって機能していたと考えられる。

 唐桑城は、気仙沼湾の東の最奥部の湾に臨む比高70m程の丘陵上に築かれている。南麓の早馬神社脇から登道が整備され、途中で左の小道に逸れれば、簡単に主郭まで登ることができる。頂部に主郭を置き、その外周を取り巻くように二ノ郭を配している。主郭の北側には幅広の土塁が築かれており、櫓台や物見台が置かれていたと思われる。主郭には城址標柱がある。二ノ郭は幅が広い曲輪で、特に主郭北側に大きく広がっている。二ノ郭内の主郭裏の切岸近くには、石積みで囲まれた方形の土壇が見られ、往時の遺構の可能性がある。二ノ郭の北と西には腰曲輪が築かれ、西の腰曲輪から更に下段の腰曲輪に通じる部分には竪堀状の虎口があり、櫓門跡があったようである。腰曲輪の北西部にも岩盤を利用した竪堀状虎口がある。岩盤絶壁が威圧するように虎口脇にそびえていることから、大手虎口ではなかったかと想像される。二ノ郭の北側には、堀切を挟んで三ノ郭が置かれている。三ノ郭は薮があるが踏査は可能で、内部に城址解説板が立っている。但し、解説板に描かれている城の略図は、実態と異なっている部分が多くほとんど参考にならない。三ノ郭の外周にも腰曲輪が廻らされており、東の台地基部には堀切が穿たれて城域が終わっている。一方、二ノ郭西の腰曲輪の南西下方には、数段の腰曲輪の下に四ノ郭が張り出すように築かれているが、内部は薮だらけで踏査が大変である。四ノ郭周囲は切岸だけで区画され、北側下方は緩斜面となっている。以上が唐桑城の遺構で、それほど技巧性のある縄張りではないが、物流拠点の港を押さえる要害として重要であったことがうかがえる。
二ノ郭内の方形の石積み土壇→DSCN8268.JPG
DSCN8119.JPG←櫓門の可能性がある虎口
二ノ郭~三ノ郭間の堀切→DSCN8229.JPG
DSCN8254.JPG←三ノ郭内の解説板

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.904050/141.638103/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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