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老木楯(岩手県宮古市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8781.JPG←削平された北郭
 老木楯(老木館)は、閉伊氏(後の田鎖氏)の支城と推測されている。一説には鎌倉初期に閉伊頼基の家臣広沢平馬丞忠連が築いたとも言われる。当初根城楯を築いて居城とした閉伊氏が、松山楯主白根左京尉忠伯から奪った髪長の地を経営するために、新たに老木楯を築いて居城としたのではないかと推測されている。その後、更に東の田鎖城に居城を移しており、それ以降老木楯は田鎖城の支城として機能したものと考えられている。

 老木楯は、閉伊川南岸の標高110mの尾根上に築かれている。田鎖城から1本西の尾根に当たる。西に突き出た支尾根先端に田鎖神社があり、その参道を使えば迷うことなく登ることができる。実は田鎖神社が建っている小高い峰は、老木楯の出砦とされている。東に伸びる尾根には堀切があるとされるが、林道が切り開かれて破壊を受けており、わかりにくくなっている。この尾根を東に上った先の主尾根に主郭がある。縦長の細長い曲輪で居住性はほとんどなく、あまり削平もされておらず自然地形の尾根に近いが、西側に幅のある腰曲輪が付随している。主郭の北には堀切を挟んで二ノ郭がある。二ノ郭はのっぺりした自然地形に近い曲輪で、倒壊した小屋(神社?)があり、西側には主郭下の腰曲輪が続いているが、東にだらっと平場が広がっていて、どこまでが曲輪の範囲か不明瞭である。二ノ郭の北東に伸びる尾根の先に北郭があり、ここだけは主要な曲輪の中できれいに削平されている。一方、主郭の南には林道が通り、電柱が立ち、その先の2つの峰に三ノ郭と出砦がある。三ノ郭は高圧鉄塔があり、自然地形に近い傾斜した曲輪であるが、東に派生する2つの支尾根にそれぞれ腰曲輪が見られる。また西に伸びる支尾根を下っていくと途中に小堀切があり、その先に鉄塔が建っているが明確な平場はない。三ノ郭の南の出砦も自然地形に近いが、東に伸びる主尾根に堀切が穿たれている。この堀切も林道で破壊を受けている。出砦の西には緩斜面の平場が広がっており、その先に切岸で区画された腰曲輪が数段ある。この腰曲輪は薮に覆われているが、『日本城郭大系』の縄張図では居館跡とされる。この下にも平場があった可能性があるが、重機で破壊されていて往時の形状がよくわからない。縄張図ではこの付近は大手口とされる。これらの西の平場群の南には、頂上の出砦から小道が麓の集落まで下っているが、この道は1/25000地形図には記載されていない。以上が老木楯で、腰曲輪は多いが主要な曲輪は自然地形で締まりがなく、田鎖城と同じ様な感じで理解に苦しむ縄張りである。
主郭~二ノ郭間の堀切→DSCN8808.JPG
DSCN8853.JPG←三ノ郭の西尾根の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.624821/141.888363/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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