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根城楯(岩手県宮古市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9035.JPG←北郭群
 根城楯(根城館)は、単に根城とも呼ばれ、南北朝時代に閉伊氏の嫡流閉伊親光が築いた城と言われている。親光は、2度に渡る北畠顕家率いる奥州勢の上洛戦に従ったが、顕家が討死にして奥州勢が四散すると、親光は苦労の末に自領閉伊に帰着した。しかし閉伊も足利方の攻撃を受ける恐れがあったため、西上の折に聞いた楠木正成の千早・赤坂城に倣って、新たに山城を構築した。それが根城楯であると言う。後に閉伊氏が老木楯田鎖城へと居城を移してからも、西を守る支城として機能したと推測される。

 根城楯は、閉伊川南岸に突き出た比高105mの山上に築かれている。大まかに言うと、大きくU字型に開いた尾根上に曲輪を連ねた縄張りとなっている。北東麓に八幡神社の鳥居があり、そこから谷沿いに参道が整備されており、訪城はたやすい。山頂に八幡神社が建つ主郭を置き、その北尾根と西尾根に曲輪群を配置した連郭式の縄張りとなっている。谷沿いの参道が尾根上に至った部分は鞍部の平場になっていて、その東に菱形をした広い東郭があり、西には2段の平場が階段状に築かれて主郭に至る。この2段の曲輪はいずれも右手(登道から見ると左側)に物見台の土塁が突き出ている。主郭は、西以外の三方に腰曲輪を廻らしているが、神社本殿の建つ主郭は櫓台程度の広さしかない。主郭の南の尾根は細く伸び、曲輪はないが浅い堀切が2条見られる。主郭の北には舌状の長い北郭があり、その北東の尾根に沿って曲輪群が置かれている。この北郭群の円弧状の堀切があり、その先に2つの小ピークがあり、いずれも物見台であったと思われる。1つ目の物見台の周りには腰曲輪も見られる。
 『岩手県中世城館跡分布調査報告書』の縄張図では曲輪はこれだけであるが、実際には派生する全ての支尾根にも曲輪群が築かれている。即ち東郭の南・北・東の3方に伸びる支尾根、そして北郭群から分岐する北支尾根である。東郭の東尾根では段曲輪の先に細長い曲輪が2つあり、途中には竪堀も見られる。北郭群の北支尾根には堀切が見られる。以上が根城楯の遺構で、閉伊氏嫡流の城としては、老木楯や田鎖城よりもしっかりした普請がされ、戦国期まで改修を受けて使われた城と推測される。それにしても支城にすぎない根城楯の方が、規模は小さいものの縄張りの充実度が高く、なんとも理解に苦しむ。
北郭群の円弧状堀切→DSCN9053.JPG
DSCN9043.JPG←北郭群の北支尾根の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.626309/141.866155/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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