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花輪楯(岩手県宮古市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9173.JPG←主郭の横矢の張り出し
 花輪楯(花輪館)は、田鎖氏(閉伊氏)の一族花輪氏の居城である。1546年に、田鎖十郎左衛門久朝の子、十郎左衛門朝重がこの地に分封され、花輪城を築いて移り住んだと言われている。以後、田鎖城防衛の一翼を担った。その子一朝の時に花輪を姓とし、花輪安房と称した。その子内膳政朝の養女お松(後の慈徳院)は、南部氏2代藩主利直が閉伊郡を視察した際、見初められてその側室となり、4代藩主重信の生母となった。重信は幼名乙松、後に花輪彦六郎を称し、1630年15歳で盛岡城内丸中屋敷に移り住むまで、花輪館で祖父政朝・生母お松と共に居住した。

 花輪楯は、長沢川西岸に連なる丘陵地の一角、標高96m、比高80m程の丘陵上に築かれている。城址東端部に華森神社が建っており、その参道を使って神社まで登り、その背後の斜面を登ればよい。ちなみに華森神社は、重信が花輪楯時代に屋敷地内に建立したお宮が起源で、社殿の両脇には生母お松の石塔 (慈徳院殿松宝琳貞大姉)とお松に関する解説板が立っている。神社背後には、段曲輪1段の上に細長い三ノ郭がある。三ノ郭は平坦であるが自然地形に近い。三ノ郭を南西に進むと、二ノ郭の切岸が見えてくる。二ノ郭は南東先端に段曲輪を設けた、東西に長い曲輪である。二ノ郭の西には斜面の先に主郭がある。主郭も細長いが、南北の塁線が凸凹した不定形な曲輪で、西端の北側で横矢の張り出しが見られる。主郭外周には帯曲輪が廻らされている。また主郭前部の北に支尾根が伸び、ここにも段曲輪群がある。主郭の南西には細長い平坦な尾根が伸び、その先に腰曲輪と切岸で囲まれた出砦がある。出砦の西側には腰曲輪の先に浅い堀切が穿たれている。また出砦の東に伸びる尾根にも段曲輪が築かれている。以上が花輪楯の遺構で、近世初頭まで使用された城であるにも関わらず、あまり巧妙な縄張りは見られない。
西の出砦→DSCN9215.JPG
DSCN9112.JPG←お松の石塔

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.611565/141.895230/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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