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栃木県内初の障子堀遺構 鹿沼城跡発掘調査説明会(栃木県鹿沼市) [城郭よもやま話]

DSCN9154.JPG←発掘された障子堀
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 新型コロナによる規制がまだ続いている中であったが、昨日6月7日、鹿沼城址の一角で発掘調査説明会があった。今回発掘されたのは、鹿沼城東麓の鹿沼市役所敷地内の南西部で、新庁舎建設工事のため、緊急発掘調査が行われたものである。
 今回の調査区は鹿沼城東麓の、江戸時代の古絵図にある三ノ丸の外周部で、大きな沼(現在は消滅)から南に水堀が伸びた部分に相当すると考えられている。

 今回この場所で、栃木県内では初となる障子堀の遺構が確認された。今回確認された限りでは、堀幅約9m、深さ2m弱であるが、堀の上半が近代に削平されているため、元の規模は幅12m以上、深さ4m以上あったと推測されると言う。おそらく、戦国末期に壬生氏が小田原北条氏に従属し、客将板橋将監が派遣されるなど、宇都宮氏との対抗上、北条氏との紐帯を強めていた時期に築かれたものだろう。宇都宮氏のバックには常陸の佐竹氏がおり、佐竹・宇都宮連合を支援していたのは豊臣秀吉であり、このことが小田原の役の導火線となった。今回発見された障子堀は、まさにこうした歴史の生き証人であったと思われる。
 非常に貴重な遺構であるが、残念ながらこの後は新庁舎建設で破壊されてしまう。なんとも残念なことである。

 尚、今回の調査で、多くの漆塗り椀が発掘され、その中には壬生氏の家紋「三つ巴」が描かれた椀も何点も発掘されている。これも非常に貴重である。

 とにかく北条氏の勢力圏の最北に当たる鹿沼で、障子堀が発見された意義は大きい。戦国末期に同じく北条氏に従属した佐野氏や、北条氏に駆逐されて領国を奪われた小山氏などの勢力圏の城でも、今後障子堀の発見事例が出てくるかもしれない。
発掘された漆塗り椀→DSCN9157.JPG

タグ:発掘説明会
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