上梅沢館(富山県滑川市) [古城めぐり(富山)]
←東側の土塁
上梅沢館は、歴史不詳の城館である。梅沢は、中世の堀江荘内に存在した村落であり、南北朝期の1352年に土肥中務入道が要害や軍陣を荘内に設けて実力で支配しているので、堀江城を本拠とした土肥氏に関連した城館であったとの説がある。
上梅沢館は、現在光明寺の境内となっている。方形単郭居館であったと推測され、遺構は湮滅が進んでいるが、境内の東辺と西辺にわずかに土塁の一部が残っている。東辺の土塁は、北端がL字に曲がっており、そこから居館の規模が推測できる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.745453/137.358016/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
上梅沢館は、歴史不詳の城館である。梅沢は、中世の堀江荘内に存在した村落であり、南北朝期の1352年に土肥中務入道が要害や軍陣を荘内に設けて実力で支配しているので、堀江城を本拠とした土肥氏に関連した城館であったとの説がある。
上梅沢館は、現在光明寺の境内となっている。方形単郭居館であったと推測され、遺構は湮滅が進んでいるが、境内の東辺と西辺にわずかに土塁の一部が残っている。東辺の土塁は、北端がL字に曲がっており、そこから居館の規模が推測できる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.745453/137.358016/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館