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堀江城(富山県滑川市) [古城めぐり(富山)]

DSCN3481.JPG←城跡の現況
 堀江城は、この地の国人領主土肥氏の居城である。越中土肥氏は、鎌倉幕府創業の功臣で相模国土肥郷を本領とした土肥次郎実平の後裔と言われる。土肥氏は、鎌倉時代以降に在地領主化して、室町幕府や守護の度重なる命令にも関わらず、この地にあった祇園社領の荘園である堀江荘を実力で支配するようになった。堀江城の築城時期は不明だが、1352年の足利義詮御判御教書に「土肥中務入道(心覚)」の名が見え、荘内に要害や軍陣を設けていたことが知られる。戦国期の堀江城主は、土肥源七とも土肥源十郎、土肥弥太郎とも伝えられ、稲村城千石山城郷柿沢館弓庄城茗荷谷山城を築いていた。また堀江城を本拠とした堀江系土肥氏と、弓庄城を本拠とした弓庄系土肥氏の二流に分かれたとも言われる。1569年か天正年間(1573~92年)の初め頃に、堀江城は上杉謙信に攻撃されて落城した。

 堀江城は、上市川北岸の微高地の先端付近に築かれていたらしい。しかし上市川からの出水により、江戸時代に城跡は跡形もなくなっていたと言う。現在も微高地の地勢は残っているが、城跡は墓地と耕作放棄地に変貌しており、明確な痕跡は微高地の崖線しかない。周囲には堀が廻らされていたらしいが、周囲の地形は公園化で一変しているので、窪地は見られるが明確に堀跡と判断できない。一応、墓地内に堀江城の標柱が立ち、城の西側の築山の上に解説板が建っている。尚、墓地内には土肥家の墓があり、ご子孫の家の墓であるらしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.732367/137.356095/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国の北陸動乱と城郭 (図説 日本の城郭シリーズ 5)

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