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井口城(富山県南砺市) [古城めぐり(富山)]

DSCN4048.JPG←城址碑の立つ主郭跡の墓地
 井口城は、14世紀初め頃、この地の豪族井口蔵人の居城である。井口氏は、『源平盛衰記』によれば鎮守府将軍藤原利仁の3男を祖とする一族と言われる。井口氏の名は、南北朝動乱の中に顕れる。1335年、鎌倉時代に越中守護であった名越時有の子、名越時兼が中先代の乱で挙兵すると、井口氏や野尻・長沢等の越中勢が時兼の軍に加わった。また同年に越中守護普門俊清が、越中国司中院貞清を攻撃した際には、井口氏は守護方に属して戦った。観応の擾乱以降室町幕府と敵対していた元越中守護桃井直常が1362年に挙兵した際には、井口氏は桃井氏に属しており、井口城は桃井方の拠点となった。直常は、1369年にも幕府に敵対して能登などに攻め込んだが、能登守護吉見氏頼の軍勢に討伐され、9月17日に一乗寺城が、また同月24日に井口城・千代様城が攻め落とされている。この様に井口城は当時、桃井方の礪波郡における有力な軍事拠点であったことが知られる。その後、文明年間(1469~87年)には井口城は今村氏の居城となったと言う。
 尚、井口氏は、後に大家庄村の井口蔵人館(井口城)に転じたとの説があるが詳細は不明。

 井口城は、赤祖父川西岸の平地に築かれていた。城跡は、昭和37年頃から進められた圃場整備でほとんどの遺構が消滅し、一部が墓地として残されているだけである。この墓地脇に城址碑と解説板が立っている。昭和63年~平成3年に行われた発掘調査の結果、墓地周辺にあった横長長方形の主郭と、その東の小さな二ノ郭で構成され、両方の曲輪の周囲を堀で囲んでいたことが判明している。現在では城址碑以外にその痕跡を示すものはない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.544656/136.931255/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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