金戸館(富山県南砺市) [古城めぐり(富山)]
←館跡の現況
金戸館は、歴史不詳の城館である。伝承では館主は森松縫殿助とも、堀一角とも伝えられる。
金戸館は、専徳寺西側の水田地帯にあった。昭和48年に田圃整備事業に先立って一部の発掘調査が行われ、中世土豪の館跡として貴重なものと県教委から判断され、保存と本調査の方針が打ち出されたが、田圃整備を急ぐ地元の猛反対で全面発掘調査が行われることなく破壊と埋没の憂き目を見ることとなったと言う(『日本城郭大系』)。従って、現在遺構は完全に湮滅している。昭和20年代の航空写真を見ると、堀に囲まれた方形の館跡が確認できる。今から思えば、なんとも惜しいことをしたものである。高度成長期は、中世城館にとって受難の時代であったというほかはない。尚、館跡の南東にある神明社境内に金戸館の石碑と解説板が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.517966/136.888490/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
金戸館は、歴史不詳の城館である。伝承では館主は森松縫殿助とも、堀一角とも伝えられる。
金戸館は、専徳寺西側の水田地帯にあった。昭和48年に田圃整備事業に先立って一部の発掘調査が行われ、中世土豪の館跡として貴重なものと県教委から判断され、保存と本調査の方針が打ち出されたが、田圃整備を急ぐ地元の猛反対で全面発掘調査が行われることなく破壊と埋没の憂き目を見ることとなったと言う(『日本城郭大系』)。従って、現在遺構は完全に湮滅している。昭和20年代の航空写真を見ると、堀に囲まれた方形の館跡が確認できる。今から思えば、なんとも惜しいことをしたものである。高度成長期は、中世城館にとって受難の時代であったというほかはない。尚、館跡の南東にある神明社境内に金戸館の石碑と解説板が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.517966/136.888490/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
富山「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない富山県の歴史を読み解く! (じっぴコンパクト新書)
- 出版社/メーカー: 実業之日本社
- 発売日: 2014/12/18
- メディア: 新書
タグ:居館