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大村城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN3641.JPG←寺に残る土塁
 大村城は、戦国後期に轡田(くつわだ)豊後守雅正の居城であったと伝えられている。轡田氏は、越中守護代の神保氏に属し、新庄城・東岩瀬城などの城も有し、1万石を領していたらしい。越後の上杉謙信が越中に侵攻した際には、浜街道の防備の要として、雅正は大村城に立て籠もった。1578年、大村城を攻撃する上杉勢は、日方江に高台(そうけ塚)を築いて大村城内の様子を監視し、間もなくして上杉方の部将河田豊前守長親によって大村城は攻略された。この時、雅正は城で討死したと言う。しかし轡田氏の一部はそれに先立って上杉氏に服属したらしく、1576~7年の能登遠征軍の中に轡田肥後守の名が見え、肥後守は後に能登甲山城の守将の一人となった。1578年に謙信が急死すると、翌79年に上杉勢力の駆逐を図る温井景隆・三宅長盛ら能登畠山氏の旧臣が甲山城を攻撃し、肥後守は次男新八郎と共に討死し、嫡子監物は船で越後に逃れたと言う。

 大村城は、現在瑞円寺の境内となっている。主郭は、南東部が斜めにカットされた五角形をしており、珍しい形である。瑞円寺境内の東から南面にかけて土塁が残っているが、寺の住職宅の庭先にあるので、遠目に見ることしかできない。南側外周には堀跡の畑があるが、完全に埋められていて、畦道にその輪郭を残すだけである。寺の東側の民家も、土塁っぽいものと水路が見られ、二ノ郭であった様に思われる。出城の日方江城と同様に、わずかではあるが遺構が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.756937/137.255126/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平城
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