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小出城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN3609.JPG←城跡付近の現況
 小出城は、この地の国人領主、唐人(かろうど)兵庫が築いた城である。『三州志』によれば、1545年に唐人兵庫(武部兵庫正)が越後の長尾為景に敗れて小出城に入ったとされる。1563年8月には上杉謙信によって落城した。その後、揖美庄助五郎がこの城に拠ったが、1566年、再び謙信に攻め落とされ、その後謙信の部将長尾小四郎景隆が置かれたと言う。落城後、唐人氏は謙信に服属したらしく、能登甲山城の守将の中に、唐人式部の名が見える。1578年に謙信が急死すると、越中へ進出した織田勢によって小出城は制圧され、上杉方の魚津城松倉城に対する前線基地となった。1580年には佐々成政の部将久世但馬が居城したとされる。1581年3月に織田信長の馬揃えの為、越中の織田勢が在京して越中国内が手薄となると、上杉景勝はその隙を突いて小出城を包囲した(小出城の戦い)。しかし急報を受けた成政らは、越前衆の織田方武将と共に越中に帰国し、それを知った景勝は城の包囲を解いて撤退した。成政はこの後、佐々喜藤次・同喜右衛門を置いたと言う。翌82年6月、織田信長が本能寺で横死すると、越中の織田勢に動揺が起こり、上杉方は失陥したばかりの魚津城を奪還し、小出城をも奪った。しかし翌83年、成政は陣容を立て直して魚津城を猛攻し、上杉勢は魚津城・小出城を明け渡して越後へ退去した。この後、成政は上杉方の越中国人土肥政繁(弓庄城主)・斎藤信利(城生城主)らを降し、越中全域を制圧した。その後、小出城の名は現れなくなった。

 小出城は、小出神社周辺の平地にあったと伝えられていたが、平成15~17年度に行われた発掘調査の結果、神社の北側一帯にあったことが判明した。現在は大半が水田、一部が宅地となっており、遺構は完全に湮滅している。昭和20年代の航空写真を見ても、全くその痕跡は残っていないので、早くに失われた城だったようである。神社に建つ城の解説板だけが、その歴史を伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.734379/137.312998/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平城
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