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幾保比城(石川県七尾市) [古城めぐり(石川)]

DSCN8513.JPG←枡形虎口
(2020年11月訪城)
 幾保比城は、将軍足利尊氏と弟直義が争った室町幕府の内訌「観応の擾乱」の際に尊氏方武将長野家光が奮戦した居城と伝えられる。また戦国後期に織田信長から鹿島半郡の領有を認められた長連龍が、築城したとの伝承もある。伝説では、古代の仲哀天皇の御宇、外船がしばしば能登の港に入港したので、その警戒のために三室孝原が築いたともされる。

 幾保比城は、赤蔵山の南東に張り出した標高151mの平らかな峰上に築かれている。おたまじゃくしの様な変わった形状をした主郭を持った、ほぼ単郭の城である。主郭内は薮がひどくて判然としないが、数段の平場に分かれているらしい。主郭外周には土塁を築き、その内側は一段低い横堀状とし、また主郭周囲の西から北側にかけて横堀状の腰曲輪を廻らしている。従って城の全周は土塁で囲まれている。その周囲には帯曲輪が1段取り巻き、南西端と西端では堀切状となっている。主郭の北西に平虎口があるが、その外側の横堀状通路を西にずれた所に枡形虎口を築いている。また主郭の東側にも櫓門らしい平虎口がある。主郭の西の角部の外には小郭が置かれ、その両側にはそれぞれ二重竪堀が落ちている。この他、北西と北東の尾根にはそれぞれ2本の浅い堀切が穿たれている。
 幾保比城は、時折見られる一点豪華主義の城で、西側の枡形虎口だけが異彩を放っている。南北朝期の古い城の基本形はそのまま引き継ぎ、虎口部分だけ改修を加えたものだろうか?
主郭土塁の西端部→DSCN8593.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.041254/136.872751/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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