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砂小坂道場(富山県南砺市) [古城めぐり(富山)]

DSCN9054.JPG←尾根筋に残る堀跡
(2020年11月訪城)
 砂小坂道場は、本願寺勢力(一向衆)が築いた寺院城郭である。二俣越を押さえる加越国境の要地で、戦国前期に一向衆が砺波平野に進出する拠点として構築された。後の善徳寺や光徳寺の創建の地と伝えられ、本願寺8世蓮如が土山御坊を創建したのと同時期に、この地の豪族高坂四郎左衛門の協力を得て、砂子坂道場を築いて布教の拠点とした。この頃、加賀守護の富樫政親は、当初は弟幸千代との後継争いで一向衆と同盟を結んで幸千代を滅ぼしたが、その後、一向衆が勢いを増すと、政親は一転して一向衆を弾圧した。加賀一向一揆衆は井波瑞泉寺を頼って逃げ延びたが、1481年に富樫氏から瑞泉寺討伐の要請を受けた福光城主石黒光義と山田川の田屋川原で激突し、石黒氏を滅ぼした。砂小坂道場の尾根筋に残る大規模な堀跡は、この当時の緊張状態を今に伝えるものと考えられている。

 砂小坂道場は、富山県南砺市と石川県金沢市の境界線を跨いで築かれている。主要部が金沢市域にあるので、どちらかといえば石川県の城郭に分類した方が良いのかもしれないが、砂小坂道場を詳しく解説した資料「となみ山城マップ」が南砺市側発行のものなので、ここでは富山県の城郭として分類した。
 砂小坂道場は、県道27号線の南にある標高314mの丘陵地にある。現在は全域山林になっており、一部を除いて笹薮が繁茂している。内部には蓮如が自らたたらを踏んで黄金の阿弥陀如来像を鋳造したことを示す記念碑が建っている。やや南に離れた所にも「善徳寺創建之跡」という石碑が建っている。道場跡には多くの平場群があり、中には土塁で囲まれた方形の区画もいくつか見られ、まさに寺跡という雰囲気である。またこれら平場群を繋ぐように堀状通路が散在している。丘陵北側の尾根筋には長い堀跡が残っているが、堀というより古道跡という雰囲気である。一向一揆勢が寺を城砦化した例は多いので、砂小坂道場も往時は武装化した寺院だったと思われるが、遺構を見るとやっぱり城跡というより寺跡という印象が強い。
土塁で囲まれた方形の平場→DSCN9036.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.568132/136.802047/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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