八乙女館(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]
←空堀のクランク部
(2020年11月訪城)
八乙女館は、国分氏の家臣八乙女淡路守盛昌の居館である。八乙女氏は、国分氏の庶流松森氏の一族に当たる。国分氏が没落すると、八乙女氏は伊達政宗に服属した。八乙女氏は一時七北田村に隠棲したが、1588年に淡路の子善助が伊達政宗に旧領を安堵され、実沢に移り住んだと伝えられる。
八乙女館は、萱場川と八乙女川の合流点西側にある比高15m程の段丘東端部に築かれている。南側の市道脇に解説板があり、その横から登道が付いている。主郭の東半分は土取りによって穴ボコだらけになってしまっており、往時の曲輪の形状はよくわからなくなっている。残っている主郭部分は耕作放棄地の薮となっている。主郭の西側には台地基部を分断する空堀が穿たれ、空堀の内外に土塁が築かれている。この空堀・土塁の北1/4ぐらいの所に虎口があり、その前に馬出しの土塁が構築されている。縄張図を見ると、以前は馬出しの周りに空堀もあったらしいが、現在堀は埋められてしまっている。また前述の空堀・土塁の南1/3ぐらいの所に、横矢掛かりの塁線の張出しが構築されており、土塁と空堀がクランクしている。張出し部分の塁線のすぐ北側に虎口があり、そこから張出した土塁の周りを回る様に武者走りが作られている。非常に珍しい構造である。八乙女館は、単郭の小城館であるが、西側の空堀・土塁による防御線は充実している。但し、薮が多いのは残念である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.321121/140.810587/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年11月訪城)
八乙女館は、国分氏の家臣八乙女淡路守盛昌の居館である。八乙女氏は、国分氏の庶流松森氏の一族に当たる。国分氏が没落すると、八乙女氏は伊達政宗に服属した。八乙女氏は一時七北田村に隠棲したが、1588年に淡路の子善助が伊達政宗に旧領を安堵され、実沢に移り住んだと伝えられる。
八乙女館は、萱場川と八乙女川の合流点西側にある比高15m程の段丘東端部に築かれている。南側の市道脇に解説板があり、その横から登道が付いている。主郭の東半分は土取りによって穴ボコだらけになってしまっており、往時の曲輪の形状はよくわからなくなっている。残っている主郭部分は耕作放棄地の薮となっている。主郭の西側には台地基部を分断する空堀が穿たれ、空堀の内外に土塁が築かれている。この空堀・土塁の北1/4ぐらいの所に虎口があり、その前に馬出しの土塁が構築されている。縄張図を見ると、以前は馬出しの周りに空堀もあったらしいが、現在堀は埋められてしまっている。また前述の空堀・土塁の南1/3ぐらいの所に、横矢掛かりの塁線の張出しが構築されており、土塁と空堀がクランクしている。張出し部分の塁線のすぐ北側に虎口があり、そこから張出した土塁の周りを回る様に武者走りが作られている。非常に珍しい構造である。八乙女館は、単郭の小城館であるが、西側の空堀・土塁による防御線は充実している。但し、薮が多いのは残念である。
馬出しの土塁→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.321121/140.810587/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世崖端城