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桑山城(富山県南砺市) [古城めぐり(富山)]

DSCN8880.JPG←横矢張出の櫓台と堀切
(2020年11月訪城)
 桑山城は、福光城主石黒氏の支城である。石黒氏の家臣坊坂四郎左衛門が桑山城を預かっていたが、仔細あって同城を追い出され、土山安養寺に入っていた。1481年、石黒右近光義と医王山惣海寺の衆徒とが、井波瑞泉寺の一向一揆勢と山田川において戦った(田屋川原合戦)が、この時坊坂四郎左衛門は光義の企てを加賀衆に知らせ、安養寺の大将となって加賀勢と共に医王山を焼き払い、石黒氏の居城福光城にも火を放った。この結果、石黒勢は総崩れとなって滅んだと言う。その後の桑山城の歴史は不明だが、現在残る遺構は戦国後期のものと推測されている。

 桑山城は、標高292.4mの桑山の山頂に築かれており、砺波平野を一望できる要衝である。桑山山頂には桑山火宮社とテレビ塔があり、そこへの林道(未舗装路)が山頂付近まで通っているので、車で城近くまで行くことができる。城は山頂の北半分に築かれている。ほぼ単郭の小城砦で、半長円形をした主郭とその周囲を廻る円弧状の横堀・腰曲輪から構成されている。主郭内は削平が甘く緩やかに傾斜している。主郭の南側には堀切を穿って南の山頂部と分断している。この城の特徴は、この堀切に設けられた横矢掛けの張出櫓台で、ちょうど凸字の形に突出し、それに沿って堀切も屈曲している。堀切に沿った塁線には土塁が築かれ、前述の櫓台と共に主郭面より一段高くなっている。城の構造としてはそれだけで、非常に簡素な構造であり、あくまで砺波平野の物見を主任務とした城であったことがうかがわれる。
腰曲輪と横堀→DSCN8914.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.579178/136.853396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


一向一揆と石山合戦 (戦争の日本史 14)

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タグ:中世山城
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