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本郷楯(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN9713.JPG←重ね馬出しの内側の馬出し
(2020年11月訪城)
 本郷楯(本郷館)は、国分氏の支城と推測されており、城主は花坂勘解由と伝えられている。慶長年間(1596~1615年)には本郷盛重の居城となったと言う。国分氏の通字「盛」を称していることからすると、本郷氏は国分氏の一族であろうか。

 本郷楯は、広瀬川北岸の比高40m程の段丘先端部に築かれている。この城へは西側から近づくのが最も早いと思うが、西側は一面の耕作放棄地のガサ薮となっており、背丈ほどの草薮を強行突破する必要があり、なかなか大変な訪城である。しかしその先にある遺構はその苦労をするに足るものである。城は3つの曲輪で構成されており、東端にあるのが主郭、その西に二ノ郭、二ノ郭の北に三ノ郭が配置されている。二ノ郭・三ノ郭の西側には台地基部を分断する二重空堀が穿たれ、内側には土塁が築かれている。前述のガサ薮を越えて山林内を進んでいくと、最初に現れるのがこの二重空堀である。二重空堀は内堀の中央付近で内側の塁線が凸字状に突出して横矢を掛けている。また、二重空堀の中間部は帯曲輪状になっており、両側に土塁を築いて中央が窪んだ形になっており、通路状に武者走りがあった様である。二重空堀の南端には、非常に複雑な虎口構造が見られる。土塁の脇をすり抜けて外に出るとL字型の堀・土塁で囲まれた小郭が置かれ、更にそこから土橋を出ると、L字の堀・土塁で囲まれた南北に長いコの字形の堡塁が築かれている。これは全国的にも類例の少ない重ね馬出しの構造である。慶長年間の本郷氏時代の改修だろうか。二重空堀の北端にも馬出し状の構造があるようだが、薮がひどくて形状がよくわからない。二ノ郭と三ノ郭は東西に伸びる一直線の土塁と空堀で分割されている。また主郭と二ノ郭も、土塁と空堀で分断され、また主郭先端には物見台があり、その脇に枡形虎口があって下方に通じている。本郷楯は大きな城ではないが、重ね馬出しと二重空堀で防御を固めた城で、見て損はない。
二重空堀→DSCN9738.JPG
DSCN9760.JPG←二重空堀の内側塁線の突出部

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.281111/140.766052/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

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