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平渡楯(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN0298.JPG←主郭虎口
(2020年11月訪城)
 平渡楯(平渡館)は、平渡五郎左衛門尉の居城と伝えられる。平渡五郎左衛門尉は、元々関東の豪族であったが、一族と共に奥州に下向し、この地に城を構えたと言う。

 平渡楯は、比高30m程の丘陵上に築かれており、南麓の車道脇に標柱が立っている。主郭を中心に四方の尾根に曲輪群を配置した縄張りとなっている。明確な登道はないが、一番取り付きやすいのは南東の尾根で、車道脇から山林内に入って斜面を登っていくと、南東尾根の先端に築かれた物見台のような円丘に至る。この尾根は主郭の南尾根から派生する東の支尾根に当たり、この先端の孤塁は古墳跡だと思われる。この尾根を北西に辿って行くと、数段の曲輪群を登った先に南郭に至る。南郭は南北に長く、あまり明瞭でない部分もあるが先端に曲輪群が置かれ、途中には僅かな痕跡を残す浅い堀切も見られる。南郭の北には主郭があり、虎口は南に向かって築かれている。虎口は、単純な坂虎口である。主郭内はきれいに削平され、周囲を高さ数mの切岸で囲まれている。土塁は見られない。主郭の周囲は腰曲輪が廻らされ、西と東の尾根にそれぞれ西郭・東郭が置かれている。西郭はその先がY字状に分岐し、南西と北西の尾根にそれぞれ曲輪群が置かれている。東郭は比較的広い曲輪1つだけのようだが、薮が多くて形状がよくわからない。これらの各尾根の曲輪群は、いずれも側方に腰曲輪2~3段を伴っている。主郭の背後に当たる北尾根には曲輪がなく、堀切のみで防御している。形状からすると、戦国期以前の古い形態の城だったと思われる。尚、『日本城郭大系』所収の紫桃氏による縄張図は、あまりにざっくり過ぎて現地と合わない部分がほとんどで、全く参考にならなかった。
北尾根の堀切→DSCN0403.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.487675/141.099300/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世平山城
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