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御峰城・土山御坊(富山県南砺市) [古城めぐり(富山)]

DSCN8960.JPG←御峰城主郭の城址標柱
(2020年11月訪城)
 御峰城は、土山城・土山砦とも呼ばれ、本願寺8世蓮如が土山御坊を設けた地にある平山城である。土山御坊は勝興寺の前身で、吉崎御坊に居た蓮如が文明年間(1469~87年)に叔父如乗が創建した二俣本泉寺を頼って医王山西麓一帯を巡錫した際、この地の豪族である杉浦万兵衛の屋敷に逗留し、土山御坊を設けて布教の拠点とした。土山御坊は後に勝興寺の寺号を与えられ、蓮如は次男の蓮乗を後継として残し、自身は瑞泉寺の復興に当たった。蓮乗は本泉寺・瑞泉寺を掛け持つ立場にあったため、4男蓮誓を勝興寺(土山御坊)に置いて布教に当たらせた。勝興寺(土山御坊)は1494年に高木場に移り、更に1519年に火災のため安養寺に移り栄えた。1584年、越中を支配した佐々成政は、神保氏張の持城であった古国府城の地を寄進して、一向宗徒の拠点であった勝興寺を古国府城の地に移し、現在に至っている。一方、御峰城は、佐々成政が1584~85年頃に加賀・能登を領する前田利家との争いが激化する中で、加越国境防衛の為に修築され、家臣の稗田善助・青木孫右衛門が守将として置かれたと言う。

 御峰城は、標高260mの小高い丘の上に築かれている。北の頂部に主郭を置き、その北に2段の腰曲輪、南東の尾根に小郭群を連ね、南端に二ノ郭を配置している。しかし主郭には現在給水施設が建ち、そこまで至る小道が尾根を削って付けられているので、遺構はやや破壊を受けている。主郭の南北には土塁があるようだが、薮がひどくてわかりにくい。腰曲輪や小郭群も薮に埋もれている。南東尾根と二ノ郭の間には切通しの道が貫通しているが、堀切があった可能性がある。また北の下段の腰曲輪の東側には横堀が穿たれている。
 土山御坊は、御峰城の東側に広がる平坦地で、市の史跡となっており、民家の東側が公園として整備されている。この公園が万兵衛屋敷と言われ、北側に土塁が見られ、南西の民家の裏にも高い土壇がある。また土山御坊が置かれた万兵衛屋敷の西の丘上に御峰城が置かれ、万兵衛屋敷の南東に丘上には「御亭(オチン)」と呼ばれる高台があり、南辺に低土塁と空堀が残っている。即ち土山御坊は東西を城砦で守られた中世寺院だったらしい。また御峰城の西側の畑地奥の山林内にも、空堀や堀切状地形が見られ、「ゴモン」「ゴモンノサカ」などの地名が残っている。

 以上が御峰城・土山御坊の状況で、御峰城は佐々成政が国境防衛のために築いた城とは言うものの、他の加越国境城砦群と比べると規模は小さく、縄張りも平凡で、御坊跡に駐屯させた軍団の為の見張りの城に過ぎなかったように思われる。
御峰城腰曲輪の横堀→DSCN8977.JPG
DSCN8997.JPG←土山御坊跡
御亭に残る空堀→DSCN9012.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:【御峰城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.579058/136.804987/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【土山御坊】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.578403/136.807047/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【御亭】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.577834/136.807390/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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