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宿阿内城(群馬県前橋市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_8681.JPG←三ノ郭の土塁
 宿阿内(しゅこうち)城は、単に阿内城とも呼ばれ、「長尾景春の乱」の際に両上杉氏が退避した城である。景春の父、白井長尾景信は山内上杉氏の家宰であったが、その死後の1473年、家宰職は景信の弟・惣社長尾忠景に与えられた。これは山内上杉氏当主の顕定が、白井長尾氏の勢力増長を恐れてのこととも言われている。景春はこれを不服として、主家上杉氏に反発、3年後の1476年に鉢形城を築いて立て籠もり、反旗を翻した。これが長尾景春の乱である。この頃は享徳の大乱の真っ最中で、山内上杉顕定と扇谷上杉定正は共に武蔵国五十子(いかっこ)に陣営を連ねて、古河公方足利成氏と長期に渡って対峙していた。1477年、景春はこの両上杉氏の本営である五十子を攻撃し、五十子陣を崩壊させた。この時、顕定・定正の両上杉氏が退避したのが宿阿内城である。当時の宿阿内城は、三輪右丹という武士が守っていたらしい。その後、扇谷上杉氏の家宰太田道灌の活躍によって、両上杉氏は武蔵に帰ることができたと言う。

 宿阿内城は、端気川西岸の微高地に築かれている。『日本城郭大系』の縄張図によれば、主郭・二ノ郭は環郭式に構えられ、南に三ノ郭、北に北郭など、周囲に曲輪を巡らした城だったらしい。しかし現在は、ほとんどが耕地整理で湮滅してしまっている。わずかにニノ郭北東部の塁線が畑の輪郭として残るほか、三ノ郭北東の土塁の一部が、民家の裏にL字状に残っているだけである。ニノ郭南辺に当たる道路際に「下川淵カルタ」の看板が立ち、そこに力丸城と共に宿阿内城の名が書かれている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.346682/139.092107/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


太田道灌と長尾景春 (中世武士選書43)

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