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今村城(群馬県伊勢崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_8738.JPG←微高地の主郭
 今村城は、那波氏の戦国後期の居城である。那波刑部太夫宗俊が築いたと言われ、家臣の長浜越前を置いて守らせた。1560年、上杉謙信は初めて越山して関東に出馬し、赤石城を攻略して北条方の宗俊を没落させ、宗俊は嫡男次郎(後の顕宗)を人質として謙信に差し出した。那波領は上杉氏によって金山城主由良成繁に与えられた。宗俊は間もなく没し、人質となっていた次郎が跡を継いだ。顕宗は今村城を本拠とし、後に北条方に付いて旧領回復を図った。また天正年間(1573~92年)には、一時上杉勢の金山城攻撃の拠点となったと言う。

 今村城は、韮川西岸に築かれた平城である。現在城跡は宅地化と耕地化が進み、主郭以外の遺構は湮滅している。元々、古墳を主郭の櫓台として利用した城だったとされるが、どれが古墳なのかよくわからない。ただ、主郭は周囲よりやや高い三角形状の台地となっているのがわかるだけである。主郭南端の民家敷地脇に、城址石碑と解説板が立っている。高度成長期以前の航空写真を見ると、本丸の周囲の曲輪には堀跡の田んぼが廻らされ、『日本城郭大系』にある縄張りがほぼ確認できるが、現在は前述の通り壊滅状態である。南の大手付近には堀跡の水路があり、民家の入口の橋に「今村城跡 廣間橋」と刻まれた石碑が立っている。ここが外郭の大手口であったらしい。遺構は残念な状況だが、石碑や解説板があるのが救いである。
大手口の廣間橋の石碑→IMG_8729.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.327754/139.143133/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国の山城を極める

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タグ:中世平城
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