後期高田氏館(群馬県富岡市) [古城めぐり(群馬)]
←館跡とされる陽雲寺
後期高田氏館は、この地の土豪高田氏の室町後期以降の居館と推測されている。高田氏の事績については、高田城の項に記載する。高田氏は、元は妙義町下高田の「堀の内」に居館を置いていたが、宝徳~長禄の頃(1449~60年)にこの地に移ったと推測されている。
後期高田氏館は、現在陽雲寺の境内となっている。位置的には諸戸城と菅原城の中間にあり、妙義山の支峰金鶏山から東に伸びる2つの尾根に挟まれた低い緩傾斜地の奥に築かれている。特に明確な遺構はないが、境内は高台となっており、境内前面には堀跡の様な池があり、また背後の墓地に高田氏の墓所がある。なお陽雲寺は、高田大和守憲頼が1506年に開基したと伝えられる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.281818/138.771894/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
後期高田氏館は、この地の土豪高田氏の室町後期以降の居館と推測されている。高田氏の事績については、高田城の項に記載する。高田氏は、元は妙義町下高田の「堀の内」に居館を置いていたが、宝徳~長禄の頃(1449~60年)にこの地に移ったと推測されている。
後期高田氏館は、現在陽雲寺の境内となっている。位置的には諸戸城と菅原城の中間にあり、妙義山の支峰金鶏山から東に伸びる2つの尾根に挟まれた低い緩傾斜地の奥に築かれている。特に明確な遺構はないが、境内は高台となっており、境内前面には堀跡の様な池があり、また背後の墓地に高田氏の墓所がある。なお陽雲寺は、高田大和守憲頼が1506年に開基したと伝えられる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.281818/138.771894/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館