浜川館(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]
←主郭南西部の堀跡
浜川館は、浜川の砦とも言い、箕輪城主長野氏の支城である。長野氏は、箕輪城築城以前にはこの付近に本拠を置いていたと言われ、浜川館は長野氏の居館であった可能性もある。長野氏が箕輪城を居城としてからは、名将長野業政の重臣藤井豊後守友忠、或いは浜川右京亮が浜川館に居住していたと伝えられる。また道場長野氏の祖・弾正業忠も、一時期浜川館の館主であったらしい。
浜川館は、井野川西岸の台地上に築かれている。大きな主郭と南のニノ郭から成っていたと推測され、主郭の北側には井野川支流の小河川が流れ、北端を区切る堀となっている。主郭の南から西にかけては、堀跡の低地と土塁が残っている。主郭内は完全に宅地化されているが、概ねの曲輪の形状は残っている。二ノ郭は、東側は宅地、西側は水田となっているが、水田部分は田圃整理によって西から南に巡っていた堀跡の低地は失われている。それでも平地の城館としては、主郭の形状が追えるだけマシである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.372386/138.981535/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
浜川館は、浜川の砦とも言い、箕輪城主長野氏の支城である。長野氏は、箕輪城築城以前にはこの付近に本拠を置いていたと言われ、浜川館は長野氏の居館であった可能性もある。長野氏が箕輪城を居城としてからは、名将長野業政の重臣藤井豊後守友忠、或いは浜川右京亮が浜川館に居住していたと伝えられる。また道場長野氏の祖・弾正業忠も、一時期浜川館の館主であったらしい。
浜川館は、井野川西岸の台地上に築かれている。大きな主郭と南のニノ郭から成っていたと推測され、主郭の北側には井野川支流の小河川が流れ、北端を区切る堀となっている。主郭の南から西にかけては、堀跡の低地と土塁が残っている。主郭内は完全に宅地化されているが、概ねの曲輪の形状は残っている。二ノ郭は、東側は宅地、西側は水田となっているが、水田部分は田圃整理によって西から南に巡っていた堀跡の低地は失われている。それでも平地の城館としては、主郭の形状が追えるだけマシである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.372386/138.981535/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1