沼野井館(栃木県那須町) [古城めぐり(栃木)]
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沼野井館は、伊王野城主伊王野氏の家臣沼野井氏の居館である。文献上では永正年間(1504~21年)の上那須氏内紛の頃から現れ、簗瀬氏らと共に伊王野氏の家臣として活躍した。近世の初めには度々現れ、豊臣時代に水戸藩に出仕や帰農するような事情があり、館は廃されたらしい。沼野井氏の出自には二説あり、一つは1155年に鹿子畑から移り住んだという説、もう一つは鎌倉初期に那須氏の庶流須藤源蔵が沼野井に入部して沼野井氏の祖となったという説である。二説の内、どちらが正かは判然としないと言う。
沼野井館は、余笹川西岸の丘陵の一突端上に築かれている。西だけが丘陵続きとなった高台で、現在は宅地や耕地となっている。高台という地勢以外は、明確な遺構は残っていない様である。民家の庭先のような畑なので入ることもできず、遠景を眺めたのみであった。
尚、南方にある堂山はこの館の砦と言われる他、付近には「じんしろ」と呼ばれている所があり、一種の砦(陣城)と考えられると言う。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.951341/140.125980/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
沼野井館は、伊王野城主伊王野氏の家臣沼野井氏の居館である。文献上では永正年間(1504~21年)の上那須氏内紛の頃から現れ、簗瀬氏らと共に伊王野氏の家臣として活躍した。近世の初めには度々現れ、豊臣時代に水戸藩に出仕や帰農するような事情があり、館は廃されたらしい。沼野井氏の出自には二説あり、一つは1155年に鹿子畑から移り住んだという説、もう一つは鎌倉初期に那須氏の庶流須藤源蔵が沼野井に入部して沼野井氏の祖となったという説である。二説の内、どちらが正かは判然としないと言う。
沼野井館は、余笹川西岸の丘陵の一突端上に築かれている。西だけが丘陵続きとなった高台で、現在は宅地や耕地となっている。高台という地勢以外は、明確な遺構は残っていない様である。民家の庭先のような畑なので入ることもできず、遠景を眺めたのみであった。
尚、南方にある堂山はこの館の砦と言われる他、付近には「じんしろ」と呼ばれている所があり、一種の砦(陣城)と考えられると言う。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.951341/140.125980/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1