紫館(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]
←腰曲輪から見た二ノ郭
紫館は、涌津城とも言い、涌津岩渕氏の歴代の居城である。涌津岩渕氏は、東山の藤沢城主藤沢岩渕氏の支流で、岩渕清経の子正経が徳治年間(1306~08年)にこの地に城館を築いたと伝えられる(別説では1342年築城とも)。1485年に南部政盛が気仙郡有住に侵入した際、葛西勢の軍監として涌津城主岩渕経定が出動している。豊臣秀吉の奥州仕置による葛西氏没落後は木村吉清の支配期を経て伊達領となり、伊達氏家臣瀬上宗時・宗敦の居城となったと言う。
紫館は、南北2つの城域からなり、北の本城域は紫館公園として整備され、南の出丸は八幡神社の境内となっている。主郭は舘明神神社が立っており、周囲に土塁が見られるが小さな平場で、主郭というより櫓台という趣である。主郭の北東には広い平場の二ノ郭が広がっており、前述の通り公園となっている。周囲は切岸で囲まれ、北端には物見台の様な土塁囲郭がある。二ノ郭周囲の斜面には腰曲輪群が築かれている。一方、南の出丸は、八幡神社がある頂部の平場の他に、周りの斜面の下に北から東にかけて、しっかりした横堀が穿たれている。この他、主城部の東麓には水堀跡が貯水池となって残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.819272/141.189702/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
紫館は、涌津城とも言い、涌津岩渕氏の歴代の居城である。涌津岩渕氏は、東山の藤沢城主藤沢岩渕氏の支流で、岩渕清経の子正経が徳治年間(1306~08年)にこの地に城館を築いたと伝えられる(別説では1342年築城とも)。1485年に南部政盛が気仙郡有住に侵入した際、葛西勢の軍監として涌津城主岩渕経定が出動している。豊臣秀吉の奥州仕置による葛西氏没落後は木村吉清の支配期を経て伊達領となり、伊達氏家臣瀬上宗時・宗敦の居城となったと言う。
紫館は、南北2つの城域からなり、北の本城域は紫館公園として整備され、南の出丸は八幡神社の境内となっている。主郭は舘明神神社が立っており、周囲に土塁が見られるが小さな平場で、主郭というより櫓台という趣である。主郭の北東には広い平場の二ノ郭が広がっており、前述の通り公園となっている。周囲は切岸で囲まれ、北端には物見台の様な土塁囲郭がある。二ノ郭周囲の斜面には腰曲輪群が築かれている。一方、南の出丸は、八幡神社がある頂部の平場の他に、周りの斜面の下に北から東にかけて、しっかりした横堀が穿たれている。この他、主城部の東麓には水堀跡が貯水池となって残っている。
出丸の横堀→
←東麓の水堀跡お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.819272/141.189702/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1