SSブログ

野駄館(岩手県八幡平市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9539.JPG←北西斜面の帯曲輪群
 野駄館は、南部氏の庶流中野氏が藩政時代に領内統治のために築いた館と推測されている。中野氏は、九戸城主九戸政実の弟弥五郎康実を祖とする一族で、康実は当初、高水寺城主斯波詮元の女婿で高田吉兵衛と称した。1587年、詮元と不和になった吉兵衛は、身の危険を察して高水寺城から脱出し、三戸城主南部信直の元に逃れた。信直は吉兵衛に中野館を与え、吉兵衛は中野修理と名を改めて信直に仕えた。1588年8月、高水寺斯波氏は南部氏に高水寺城を攻め落とされて没落した。高水寺城を占領した信直は、城名を郡山城と改称して城代を配した。中野氏は、慶長年間(1596~1615年)に片寄城を居城としたが、1615年から郡山城代となった。1629年、郡山城が南部氏の直轄地となると、中野氏は換地替えを命ぜられた。その換地の中に岩手郡寄木村・北森村があり、領内統治のために野駄館を築き、代理の家臣を居住させたと考えられている。

 野駄館は、比高30m程の丘陵上にあり、現在野駄舘公園として整備されている。主郭は平場だけで土塁は見られない。主郭周囲には帯曲輪が廻らされており、北東部は帯曲輪に土塁が作られて横堀状となっている。また北西斜面には数段の帯曲輪軍が築かれている。遺構としてはこの程度の簡素なものだが、江戸時代に新造された平山城形式の居館であり、貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.944481/141.070418/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


盛岡藩 (シリーズ藩物語)

盛岡藩 (シリーズ藩物語)

  • 作者: 佐藤 竜一
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2006/11/01
  • メディア: 単行本


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー