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野田古館(岩手県野田村) [古城めぐり(岩手)]

DSCN0076.JPG←急崖で囲まれた館跡の現況
 野田古館は、野田城とも呼ばれ、一戸氏の庶流野田氏の居城である。古くは十府ヶ森正吉の居城であったとも伝えられるが不明。野田氏は、一戸南部初代の南部彦太郎行朝を祖とし、南北朝初期に一戸実朝(野田氏4代)の跡を継いだ親継が野田に入部したらしい。戦国末期に野田氏を称するまでは代々南部氏を名乗った。大永年間(1521~28年)に南部源左衛門義親(野田氏11代)は宇部館を居館としたが、後に古館を築いて居館としたとされる。戦国期には、この地域では久慈氏と並ぶ豪族であった。1591年の九戸政実の乱では、南部薩摩守政義・掃部助直親(はじめ政親)父子は三戸城主南部信直方に付いて活躍した。この14 代直親から野田氏を名乗ったと言う。翌92年、南部氏が豊臣秀吉の命により領内諸城を破却した際、破却36城の一つとして野田城は廃城となった。廃城後については、宇部館へ移ったとする説や野田新館を築いて移ったとする説があるが、明確ではない。いずれにしても南部氏が盛岡城を築いて移ると、野田氏もその城下に移り住み、盛岡藩の重臣となった。
 尚、『宇部館跡・北ノ腰遺跡発掘調査報告書』(2016年)では、1592年に廃城となった野田城は宇部館のことで、野田氏の居城は、野田古館→宇部館→野田新館と変遷したのではないかと推測している。

 野田古館は、現在の野田小学校の地にあった。比高15m程の独立丘陵の西端に当たり、東側に空堀を穿って丘陵続きを分断していたらしい。現在は校地となって改変されており、明確な遺構は残っていない。校地北西に土塁らしい土盛りが見られるが、遺構かどうかは不明である。ただ周囲から見ると、急峻な斜面(切岸)でそびえ立った城館で、なかなかの要害地形であったことがうかがえる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.102720/141.817510/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


南部信直 (中世武士選書 第35巻)

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