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二桜城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8923.JPG←二ノ郭と花立泉
 二桜(にろう)城(二桜館)は、清水城とも言い、葛西氏の一族清水氏の居城である。伝承では、古くは坂上田村麻呂や文室綿麻呂の陣所で、1058年には熊谷次郎直秀の居城となり、更に文治年間(1185~90年)頃には奥州藤原氏の家臣照井高春の居城となったと伝えられるが、確証はない。特に田村麻呂伝説は奥州各地にある他、熊谷氏の奥州入部は1189年の源頼朝による奥州合戦後であるので、これらの伝承は信ずるに足らない。歴史がはっきりしてくるのは鎌倉後期からで、1309年に葛西式部大輔清秀が二桜城を居城として清水氏を称した。以後、清水氏の歴代の居城となった。1590年に主家葛西氏が豊臣秀吉の奥州仕置で改易となり、同年葛西大崎一揆が生起すると、二桜城主清水刑部少輔信晴もこれに参加し、桃生郡糠塚で伊達政宗の謀略にはまり自刃した。1593年には伊達一門の重鎮留守政景(政宗の叔父)が黄海城より移って二桜城主となったが、政景は1604年に一関城に移封された。その後留守氏は政景の子宗利の代に金ケ崎城水沢城と移封され、水沢伊達氏となった。二桜城の廃城時期は不明。

 二桜城は、比高30m程の丘陵先端部に築かれている。城は現在清水公園として整備されている。中程がえぐれたオバQ型の主郭と周囲に築かれた腰曲輪状の二ノ郭・三ノ郭で構成された、小規模な城である。主郭には八幡神社が建ち、主郭背後には土塁と基部を分断する堀切が穿たれている。主郭切岸下の二ノ郭北東部には、坂上田村麻呂に由来するという井戸が残り、花立泉と呼ばれ、花泉の町名の由来となっている。また主郭の南側にも大土塁が築かれている。三ノ郭の東辺には短い横堀と土塁が残っている。尚、ここは公園なのに専用の駐車場がなく、中腹にある特養老人ホームの駐車場に駐めさせていただいた。
主郭背後の堀切→DSCN8937.JPG


 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.848607/141.158760/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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