SSブログ

楊生新城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9189.JPG←腰曲輪と主郭切岸
 楊生新城は、戦国時代に千葉山城守持家の居城であったと伝えられている。持家の系譜は明確ではないが、『楊生新城館跡発掘調査報告書』では各種の所伝から、鎌倉後期の正応年間(1288~93年)に葛西氏の家臣千葉山城守持高が楊生古城の城主となり、永正年間(1504~21年)には桃生郡より寺崎刑部大輔常清が峠城に移封となった際に常清の舎弟明清が楊生古城の城主となって寺崎系千葉氏となり、明清は千葉持高後裔の持家を楊生新城に置いたのではないかと推測している。そして持家が城主の時、1590年の奥州仕置で楊生新城は落城したと伝えられる。また寺崎系千葉氏は同年に生起した葛西大崎一揆に加担し、2代五郎左衛門清泰らが桃生郡深谷にて伊達勢の謀略で誅殺されたと言う。

 楊生新城は、北上川曲流部にほど近い比高50m程の山上に築かれている。主郭には現在熊野神社が建っているので、南麓から参道が整備されており、簡単に登ることができる。山頂に主郭を置き、その周囲に腰曲輪を廻らしただけの簡素な構造である。西麓に堀切があるようだが、薮がひどく確認できていない。また東麓から東中腹まで車道が延びているので、東側は一部改変を受けている。いずれにしても小規模な城砦である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.897521/141.252787/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


岩手県の歴史 (県史)

岩手県の歴史 (県史)

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 単行本


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー