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覚鱉城・河崎柵(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9202.JPG←城・柵跡の石碑や看板
 覚鱉(かくべつ)城は、大和政権が蝦夷侵略のため胆沢侵攻の前進基地として築いた城である。『続日本紀』によれば780年のこととされ、覚鱉城造営中に「伊治公呰麻呂の乱」で築城は中断され、そのまま歴史から姿を消した。

 河崎柵は、前九年の役の際に俘囚の長安倍貞任が黄海の戦いの際に拠点とした城柵で、安倍氏12柵の一つである。衣川柵に進撃した源頼義率いる国府軍に対して、安倍貞任は部下の金為行が守る河崎柵に精兵4千人を集め、これを率いて国府軍を撃ち破った。大敗した頼義は、息子の義家を含む供回り6騎で命からがら落ち延びたと伝えられる。

 覚鱉城・河崎の柵は、同じ地にあった時代の異なる二重遺跡とされる。県道168号線沿いに石碑と解説板などが建っている。河崎の柵は擬定地であるが、発掘調査の結果では柵跡である可能性が高いとされる。現在遺構は何も残っておらず、石碑や解説板が歴史を伝えているだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.904702/141.252851/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


前九年・後三年合戦と兵の時代 (東北の古代史)

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  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2016/03/29
  • メディア: 単行本


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