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平館城(岩手県八幡平市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9484.JPG←主郭、奥は櫓台らしい土壇
 平館城は、一戸氏の庶流平館氏の居城である。平館氏の天正年間(1573~92年)以前の事績は不明だが、後に一戸城主一戸政連の弟信濃守政包が平館氏を継ぎ、1000石を領して平館城を居城としたと伝えられる。1981年7月、政包は南部宗家に叛意を持った九戸城主九戸政実に唆され、一戸城において一戸兵部大輔政連・出羽父子を刺殺した。しかし九戸政実の乱が鎮圧されると、平館氏は南部信直によって知行取上げとなり、その後、津軽石行重の子が平館彦六と称して平館氏を再興した。

 平館城は、比高40m程の大泉院の裏山に築かれている。主城部は舘山から伸びる北尾根の先端部に築かれているが、もう一つ東の支尾根にも出丸が築かれている。登道はいくつかあるらしいが、東出丸の東麓の登口がわかりやすい。ここには「平舘信濃守政包城跡」と刻まれた石碑が立っている。ここを登っていくと、何段かの平場に分かれた公園があり、ここが東出丸である。しかし公園化による改変多く、遺構は不明瞭なものが多い。唯一、西の基部に穿たれた堀切だけがはっきりしており、一点豪華主義の砦である。ここから西に少し進むと標高300mの峰があり、この峰も砦であったらしく、頂部の平場の周りに腰曲輪が見られる。この峰から北に進んだ先に主城部がある。基部の尾根に小規模な二重堀切を穿っており、その先に腰曲輪に囲まれた主郭がある。主郭は南北に長く、後部に櫓台らしい土壇を築いている。腰曲輪は南東部と南西部には突出しているが、その他は帯曲輪状に廻らされている。また主郭の北東に伸びる尾根にも小郭や腰曲輪が確認できる。東斜面の下方は大泉院の墓域があるが、一部の平場は腰曲輪の遺構であった可能性がある。この他、舘山山頂部にも物見砦の遺構があるようだが、時間の関係で踏査しなかった。平館城は小規模な遺構であり、あくまで有事の際の詰城で、平時の城は麓にあったものと推測される。
東出丸の堀切→DSCN9428.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.946258/141.090159/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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