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朝日館(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8990.JPG←要害部の舌状斜面南端の物見台
 朝日館は、金沢城とも言い、葛西氏の家臣で奥州千葉氏の一族金沢千葉氏の居城である。伝承では、奥州藤原氏3代秀衡の郎従九郎なる者がこの館に居住し、金沢伊豆と称したと言われる。1340年、薄衣城主千葉清澄の3男清胤は葛西高清の命でこの地に入部し、金沢千葉氏となった。1507年、朝日館主千葉伊豆守冬胤は峠城主寺崎時胤と戦ってこれを降し、1510年には本家の薄衣氏を敗退させるほどの勢力を有した。葛西氏にとって金沢の地は有壁方面からの大崎氏の侵攻に対する交通上の要地で、この地を支配した金沢氏は流郷の盟主であった。1590年、金沢千葉氏10代伊豆守信胤は葛西大崎一揆に加わり、桃生郡深谷の陣で伊達勢に敗れ、糠塚で伊達勢の謀略により討死した(須江山の惨劇)。

 朝日館は、標高約75m、比高50m程の緩やかな丘陵地に築かれている。城域は大きく2つに分かれ、愛宕神社が建つ愛宕山山頂部の遺構群と東北東に伸びる尾根の先端部に築かれた遺構群に分かれる。山頂部のものが要害部(詰城)で、東北東のものが居館部と考えられている。
 要害部は現在あたご山公園となっており、主郭のすぐ下まで車で行くことができる。要害部の主郭は東西に長い長円形の曲輪で、南に舌状の緩斜面が続いている。この緩斜面の先には物見台が築かれ、下方に堀切が穿たれている。この主郭と舌状斜面は切岸で囲まれ、外周に腰曲輪を廻らしている。北には広大な広場があるが、公園化で整備されたものだろう。
 居館部は、尾根の基部に堀切を穿って分断し、L字型の土塁を後部に築いた主郭が広がっている。この平場には小さな廃屋があり、以前は畑であったらしいが現在は竹薮となっている。この主郭の東に高台となった二ノ郭があり、その南と東に腰曲輪が築かれている。主郭・二ノ郭の接続部には虎口らしい構造があって、北斜面に通じている。北斜面はほとんど自然地形の傾斜地となっている。
 以上が朝日館の遺構で、遺構はよく残っているが、居館部は薮が多く少々探索しづらい。それほど要害性の高い地形とも思われず、やや中途半端な印象の城館である。
居館部基部の堀切→DSCN9010.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.853971/141.178372/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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