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寺田城(岩手県八幡平市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9588.JPG←西の二重横堀
 寺田城は、南部氏の一門北氏の居城である。元々は天文年間(1532~55年)に三戸城主南部氏23代安信の弟糠部(石川)高信による築城と言われ、秋田の鹿角郡を保持する重要拠点であったとされる。また高信は、一方井城主一方井安正の娘を側室として庶長子信直をもうけた。信直は後に田子信直となり、1582年に南部氏25代晴継が若くして死ぬと、南部氏一門の北信愛(のぶちか)の推挙を受けて信直が26代当主となった。同年、信愛は寺田城450石他、計1100石を賜り、信愛の長男愛一(ちかかず)が父から独立した形で寺田城主となった。1634年に愛一が没すると、直愛・愛時と続いたが、4代岩松は幼童で1655年に早世し、北氏嫡流は断絶した。

 寺田城は、涼川西岸の比高30m程の丘陵上に築かれており、公園として整備されている。比較的大型の館城で、北と西を空堀で分断しており、空堀で区画された丘陵内部を3段の曲輪に整形している。最上段の本丸は南西端にあり、その北に二ノ丸、本丸・二ノ丸の東に広大な三ノ丸を配置している。三ノ丸は広いが、内部が本丸に向かって登り勾配となって傾斜している。西の空堀は二重横堀となっており、南の丘陵端部まで掘り切っている。縄張りに技巧性はないが、西方への防衛と統治拠点として重視されたことがうかがえる。尚、城の北の丘陵上に、最後の城主北岩松と殉死した家臣佐々木六助の墓が立っている。
本丸→DSCN9593.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.981551/141.105609/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国大名南部氏の一族・城館 (戎光祥中世織豊期論叢3)

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  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2021/03/18
  • メディア: 単行本


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